そもそも一般論として語られる「世界史」でも、また高校で履修する「世界史科」にても、人類の歴史がなんらかの一貫した必然系であるのか、あるいはさまざまな偶然の偶発に過ぎぬかについて、普遍的な解釈が無い。
この必然/偶然の不明瞭さは、さまざまな人間集団≒国家の興亡をもたらす根幹的な動因と主体が確定されていないためではなかろうか、そしてこの不明瞭さが世界史をおそろしく曖昧な(つまり難解な)学術分野に押しとどめているのではないか。
そこで此度紹介の本書であるが、本書では民族や国家の根幹的な興亡動因のひとつとして「商業活動と国家権力の対立」を取り上げている。
とくに刮目すべきは本書p.126における指摘、「商業関係は偶然と偶然が偶然に作用して起こるものゆえ、これを従前に必然として予測し計画を立てることは出来ない」由であろう。
これが正論であるならば、人間集団≒民族≒国家の興亡を特定の政治権力が従前に必然プラニングすることは出来ないといえよう ─ つまり、歴史はあくまでも偶然の偶発をその都度結果解釈しているに過ぎぬということになりえよう。
以上の前提に則りつつ本書を読み進めてみれば、商業が常に新たに展開しうるさまざまな商業ネットワーク、そのたびに価値統一の通貨を以て商人たちの資産と利益を収奪する政治(軍事)勢力、これらのコンビネーションによって変遷する諸国家や諸民族のあらましを伺い知ることが出来る。
※ 但し、本書は講義録の貼り合わせのような文脈構成をとっており、総論と各論と補足説明を峻別し難い箇所もしばしば見受けられるので、むしろ学校教育で世界史科や政治経済科の基礎知識を一通り習得された上で挑まれたい。
とくに本書では、古代史から近代初頭までの「貨幣(通貨)論」と「商業ネットワーク論」を歴史の動因の淵源に挙げているように察せられるので、それらについて僕なりに整理しつつ以下に【読書メモ】として列記しおく。
・とりあえず「資本主義システム」を「差異の発見、創造、活用を通じて利潤を獲得し蓄積するシステム」とする。
人類原初の資本主義は、メソポタミアの乾燥気候と水不足と物的欠乏におかれた環境下において、商人たちが牧畜民と農耕民の間で穀物食料を循環させつつ利潤を獲得したことによって興り、ここから部族間共通の財貨はむろん、言語と文字と貨幣の共通化も始まった。
・古代メソポタミアから拡大していった商業ネットワークは、国同士が事業戦略を立てて構築したものではない。
むしろ、国の勢力が及びにくかった砂漠や海洋においてこそ、商人たちが随意に商業ネットワークを広げていった。
(本書ではこの商人主導による偶発的なネットワークを、国にとっての『不可視の市場』と称している。)
・メソポタミア商人たちのネットワークは、砂漠や川や海を越えて遠隔化が進めば進むほどに諸地域の物資と物産を豊かにし、よって商人自身の利益も拡大させていった。
たとえば、青銅器の製造に必要な錫は、フェニキア商人たちが北ヨーロッパから調達することによってメソポタミアで安定供給可能になった。
また、通貨の地金として重宝された銀の素材は、トルコやイランの山岳地方から商人たちによってメソポタミアに多くもたらされた。
・貨幣の成り立ちについての解釈は一様ではなく、現在有力な説を大別すれば「商品貨幣説」と「信用貨幣説」がある。
商品貨幣説は、物々交換にてとくに交換能力=信用力の大きな貴金属商品が結果的に貨幣として万民に認められていったというもの。
一方で信用貨幣説は、国が(王権が)価値を保証した何らかの財貨が結果的に万物との交換能力=信用力を得ていったというもの。
・メソポタミアで貨幣素材が金よりもむしろ銀に収斂していった理由は、銀がもともと神秘的に嗜好されてきたためのみならず、金は天然採掘できるが銀は精錬が必要であり、よって銀の方が価値が有ると見做されたため。
ウル第三王朝の時代には、さまざまな商品の価値が銀の地金の重さによって表現されるようになり、さらに時代が下ってハンムラビ法典にても万物の(そして人間の)価値が銀地金で定義された。
尤も、ここまではいわば秒量貨幣であり、取引のたびにその貨幣自体の純度や重さをいちいち証明しなければならなかった。
・貨幣自体にその価値を刻印した「コイン」は、今から約2700年前のアナトリアから。
このコインの価値は王権によって定義され、その価値保証の証として王の肖像や猛獣の紋章などが刻印され、国によって発行された。
これが信用貨幣の始まりとされる。
・リディアで王権によって発行されたコインは初めは銀と金の自然合金を素材としたものであり、これは金によるエジプトとの交易も勘案してのものと想像されるが、これでは価値保証も厳密なものとはいえなかった。
しかしやがて銀と金が分離され、こうして銀コインも金コインも価値保証が厳密になされることになる。
※なお、ナイル川流域のヌビアからエジプトにかけては金がふんだんに有ったが、物々交換の商売が一般的であったため金が貨幣として広く流通することはなかった。
・価値統一のコインが国によって発行されたことにより、メソポタミアの商人たちはおのれなりの貨幣の正当性は失ったことになったが、それでもコインが国によって価値保証されるため安心して流通を拡大させ、しかも取扱が非常に迅速になった。
結果として商業の規模も効率も爆発的に向上していった。
・コインの価値が正当/正統なものであるならば、コイン収集(つまりカネ儲け)もまた正当であり、ひいては王権そのものも正当な存在である ─ との見方が文明世界に拡がっていくことになった。
アリストテレスなどはこれを大いに批判している。
・なお、古来よりメソポタミアは環境が過酷なため生産活動が容易ではなく、そのため借金や借財も普通であり、よって資本主義経済とは別に金融や金利商売も発展していった。
ハンムラビ法典にても、金利は厳格な制限付きながらも認められている。
・アケメネス朝ペルシアからローマまで大帝国の出現が可能であったのは、帝国の政治(軍事)勢力が商人たちの陸路や海路のネットワークを大いに活用、さらには掌握し支配したため。
これらが巨大に連結されて、いわゆる王の道も駅伝制も構築されていった。
貨幣価値と度量衡の大統一も進んでいった。
・ギリシア商人たちはアレキサンドリアからシチリア島さらに南イタリアまで植民市群を展開し、地中海の商業ネットワークを活かし繁栄、やがて商業にてカルタゴと対立すると、ローマ人の軍事力と提携してこれを滅ぼした。
ローマ人は強大化してむしろギリシア諸都市を制圧し資産を収奪、そしてエジプトまで征服し、ローマ帝国として地中海全域を支配するに至った。
ローマ帝国が繁栄出来たのは地中海の商業と資産を掌握し続けたため。
・ローマ帝国にて発行された銀貨コインは、皇帝がその権威をもって価値保証した貨幣であり、皇帝の権威が解任などによって損なわれるとこの銀貨の価値も無きものとされて回収され、あらたな皇帝権威のもとで鋳なおされた。
・ローマ帝国は属州からの極端な収奪と市民への還元によって何とか成り立っていたが、やがて有力者たち自身が属州へ移住し続けたために強圧的な課税が困難となり、そこで貨幣の銀の含有量を下げ貨幣価値を落とすことによる税収の確保を図った。
この過程で帝国の銀貨はほとんど銅貨になってしまい、価値が下がり過ぎてしまったため(いわゆる悪貨となってしまったため)過度のインフレをもたらすに至る。
・春秋時代までの中国(シナ)では、もともと穀物の産地が散在しており、商人たちによる巨大なネットワークが構築されていなかった。
このため宗族たちが大規模な灌漑を展開しながら勢力を結集しあい、互いに軍事拮抗。
こうして大規模勢力が各地に乱立して戦国時代にいたり、真の徳と天子の待望論が進む過程でいわゆる天命の正当化がなされていった。
・春秋~戦国時代までの中国は、諸侯の大商人たちがおのおの青銅貨幣を発行していた。
始皇帝による半両銭を経て、漢帝国の武帝が発行させた五銖銭が中国史最初の帝国保証の通貨となり、商業においても財産証明においても五銖銭が強制された(しかも五銖銭の流通は唐代はじめまで続く)。
・秦でも漢でも発行貨幣の価値はそれぞれの帝国に保証されると見做されたため、それぞれの貨幣の素材は問題とされず、一番容易に鋳造可能な銅が素材に採用され続け、広く流通していった。
漢は匈奴との長期戦争のために財政拡大の一途、そこで五銖銭銅貨を膨大に発行してこれに充て、商人たちの商業に介入し資産を収奪し続けた。
・唐はトルコ系諸民族による侵略を受け続けたため、帝国の貴族たちが弱体化、そこで江南の稲作社会に大いに依存するようになり、ここから商人たちの取引活動が大拡大。
政経分離が進む過程で、納税制度は従来の均田制から資産への両税法へと移行、また銅貨との「交換保証書類」として為替手形(いわゆる飛銭)が出現。
・初期のイスラーム教団による大征服は、ムスリム商人たちがアラブ遊牧民を利用しつつ協力関係を維持するための軍事行動であり、ビザンツ帝国からシリアとエジプトを奪い、ササン朝ペルシアを滅亡させるほどの強力な軍事力を有した。
この過程で、ムスリム商人たちは次々と商業ネットワークに組み入れていき、特定の政治勢力を超えた広域の商業を展開するようになった。
だが一方で、ムスリム商人たちは利益を巡ってアラブ遊牧民と激しく対立するようになり、これがスンナ派とシーア派の対立のきっかけとなった。
・アラブ遊牧民は諸地域をさらに征服しつつ、軍事勢力に拠るウマイヤ朝を興した。
ムスリム商人たちの広域商業ネットワークを一律支配するため、ウマイヤ朝はアッラーの名を刻み込んだイスラーム・コインを発行(価値保証)。
このコインはエジプト方面のディナール金貨とササン朝ペルシア由来のディルハム銀貨から成り、いわば金銀複本位制の通貨として帝国内を流通したが、財務においてはアラブ遊牧民ではなくむしろムスリム商人やユダヤ商人が仕切ることになってしまった。
なお、イスラーム教は原則として金利取引を禁止。
・しばらくのちに、今度はムスリム商人勢力がシーア派とペルシア勢力と連携し、ウマイヤ朝を滅ぼしてアッバース朝を興す。
アッバース朝はムスリム商人たちによる商業ネットワークを更に巨大に拡大し、首都バグダードは古代ペルシア以来の大幹線道路と結びついた。
それどころか、さらにバグダードは草原の道とシルクロード、そしてインド洋から南シナ海までの道(海の道)までも繋いだ巨大なビジネスセンターとなった。
・ムスリム商人たちは中国の紙を北アフリカとイベリア半島とヨーロッパ深部に伝え、これらの地域で紙を活かした手形や小切手などの信用貨幣が始まるに至る。
・ムスリム商人たちによる海洋での広大な商業活動は、季節風を活かした帆船の発達によって可能となったもの。
これによって地中海から東アフリカ沿岸、ペルシア湾からインド洋、さらにマラッカを経て広州や泉州や揚州に至る大市場が出現。
インド以東原産のコメやサトウキビやレモンが地中海方面で大規模栽培されるきっかけともなった(とくにサトウキビは近代ヨーロッパによる大航海時代において極めて重大な栽培作物となっていく。)
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以上、ほんの一端ながら列記してみた。
本書はさらに、ユダヤ商人たちによるヨーロッパでの市場大展開、モンゴル帝国における広域商業のための手形・小切手の発展と世界的普及、銀決済の国際化、十字軍とイタリア商人、バランスシート、ルネサンス、大航海時代、商業革命、宗教革命、金利の正当性とその所在……などなど続く。
そして近現代史にいたるまで、自由な商業活動、国家の介入、産業の変容などなどがぞくぞくと綴られつつ、世界史の意義について考察を促す。
あらためて、本書は「商業活動と国家権力の競合対立」を世界史の根幹的な動因と据えているように察せられ、これは世界史理解の上での重大なヒントたりえよう。
よって、とくに世界史や政治経済をひととおり履修した社会人や大学生(さらには高校生)に薦めたい一冊ではある。
(おわり)