2022/04/08

新卒社会人の皆さんへ(2022)




学生時代までの諸君は、いわば探検家でもあり冒険家でもあった。
大学などは南極のような処、あるいはジャングルのような処、それでよかった。
学生だった諸君らは「ほとんど自身のみによる自由選択」によって道や居所を選んできたといっていい。

しかし企業組織への「就職」となると、諸君らのみによる自由選択ではない。
市場が在り、企業が在り、事業が在って、そこで「たまたま」新たな仕事の需要が起こったので、「たまたま」諸君らを選んだのである。
かつ、諸君らはそれに応じた。
ゆえに、双方の合意によって雇用関係が成立している。
合意が切れるまでだ。

もちろん、はじめっから大歓迎してくれる市場はないし、そんな企業もそんな事業もねぇんだ。
欧米だろうが何処だろうがだ。
常識で考えろ。

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さて。
いまや企業と事業と市場と諸君らが一体となって、「場」を広げつつ「力」を拡大していくことになる。
おもいっきり単純に喩えれば ─ 諸君ら1人ひとりがいわば電荷あるいは磁極であるとするならばだ、市場・企業・事業がつまりは電場や磁場に相当するわけ。
それぞれがそれぞれに’力’をgiveしかつtakeしながら、おのれらの'力'の場をぐーるぐると連続拡大させていき、その過程で新規の産品や製品が創られていく、要するにそういうこった。

そこで国民1人ひとりに求められるものは、電子の表象値(カネ)よりもむしろ物質抵抗を克服する起電力(能力)であると、そんなふうに喩えることも出来よう。
もちろん電子ビットマネーを否定するものではないが、ともあれこういうふうに世の中とおのれを理知的(?)に考えてみれば、なんとなくカッコいいだろ(笑)

もっとスケール感を拡大させていえば、市場や企業と新人諸君らとのかかわりは生命とCO2のかかわりにも似ているし、さらに極端にたとえれば細胞物質とウイルスの関係にも…

冗談はともかくも、いまや諸君らは市場の一端に加わり、企業の一部を成し、事業の一環を任されている。


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さてさて。
現在進行中のウクライナ紛争を通じて、世界の人間に2種類居ることがあらためて明らかになりつつある。
何かを「つくる」人間と、そこに「たかる」人間

何かを「つくる」人間とは、農林水産業や工業や医療やサービス業や学術界などにて、’現実に’知恵を発動し、労力を投入し、成果物を世の中に供給する人たちのこと。
そして「たかる」人間とは、「つくる」人間からカネ/時間をつまむ人たちのこと。

たとえば、高いたかい山の登頂を目指して登山続ける人を「つくる人間」としよう。
その人に対して、おまえは山を汚したのだから弁済しなければならない、などと小理屈の因縁をつけてカネを脅しとるのが「たかる人間」だ。

もちろん一般のロシア人もウクライナ人も、アメリカ人もイギリス人もフランス人も、ドイツ人も日本人も、そして資源産業も農林水産業もハイテク産業も「つくる」人間といえる。
「つくる」人間のもとにいちいち割り込んできて、脅迫とフェイクを掲げつつカネを奪い続ける国際機関や銭ゲバ左翼政権やメディアが「たかり」連中。

戦争犯罪もCO2も放射線も新コロもLGBTも、多くは「たかりの論拠」たりうる。
分かるだろ。
今は分からずとも、そのうちもっともっと明らかになってくるぞ。

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さてさてさて。
「生産」と「消費」は、論理的に(経済学的に)に切り分ければ別勘定、ここに需要価格と供給価格をあてこんで比較検証すれば景気分析すら可能 ─ に見える。
しかし物理的に考えれば、或るモノの生産は必ず別のモノの消費によって成され、かつ、或るモノの消費は必ず別モノの生産をもたらす。
無から有を生産することも有から無に消費し尽くすことも出来ないからだ。
あらゆる生産と消費は常に連続し一体を成す「物理上の仕事」である。

おのれがどんな産品や製品に携わろうとも、どんなハードやソフトとして販売しようとも、どんなエネルギー資源を取引しようとも。
そして製造であろうとも販売であろうとも、家庭内私用であろうとも。

生産と消費が連続しているがゆえにこそ、或る仕事にてモノや人間が余りつつ、一方ではそれらが不足する (これをもって、需要がおこり供給も成される)。


何が言いたいのかって?

諸君らは学校で’多様性'だの'多様化'だのとさんざ聞かされ、学ばされてきたことだろう。
ただ、そもそも学校レベルでいう多様性だ多様化だのは、あらゆる消費を「カネに翻訳」してしまい、生産と別物のごとく説いているようである。
しかし、繰り返すがあらゆるものは実体として生産と消費が不可分一体の「物理上の仕事」によるのだから、消費活動を多様にしようというのなら、あわせて生産活動も多様でなければならない。
たとえば、エネルギー源とモノ素材とそれら工法がどれもこれも多様になっているはず、つまり、そういう創意工夫が為されていなければならない。

生産/消費がどんどん活発かつ多様になるのは、誰にとっても素晴らしいこと。
知識が増え、経験機会も増え、もちろん売上も利益も或る程度までは増え続けるのだから、仕事する気がガンガンと湧いてくる。
それでこそ投資も増える。
いわば、掛け算(量)の局面だ。

逆に、生産/消費がどんどん画一的になって、世の中が同じモノだらけになってしまうと、知性もやる気も減衰し、利益はどんどん減ってゆく。
これは割り算(率)の局面であり、カネと権利と多数決の毟り合いばかりに陥ってしまう。

こういう見方にのっとって、これからのグローバル化やローカル回帰だのについて考えてみたらどうだろう?
とくに外国人労働力をどう捉えるか、などなどだ。



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(付記)

毎年書いていることだが、仕事における実践的なアドバイスも一つだけしおく。

新人諸君は、なにはさておき、まずはメモ用紙を準備しろ、そして常に携行しろ、見聞きするもの片っ端からメモしまくれ。
チマチマした付箋などはダメだ、大きめの紙を使うんだ、出来ればB5サイズ以上のものだ、広告の裏紙でもなんでもいい。
これくらいのサイズであれば、まとめていろいろ書き記すことが出来るし、いつでもまとめてノート帳として一瞥できよう。

とくに、新規の世界への了察は理科や社会科の新分野学習に等しく、右脳的(絵画的)に物事をズンズン描き続けること必須、だから大きな紙面が望まいのだ。
また、電話番などで取り次いだメッセージもつらつらと書き残し、ビッと引きちぎって上長などに手渡すことが出来る。
一方で、書き損じをしてしまったメモは引きちぎってとっとと捨てるんだ、いちいち名残惜しんでいてはいけない。

以上の機能を同時に果たすべく、B5サイズ以上の紙を常時20枚くらい束ね、これを左上リング綴じの構造にしておけばいい。
これで重要なメモはノートとしてずっと保持し続けつつ、不要な紙はどんどんちぎり捨てることが出来る。
ホントに重宝するから。


もうひとつ付記。

技術仕様から契約書にいたる文書類について、職制を問わずほとんど誰もが実務上拘束されることとなろう。
これらの意義について精緻に了解しておきたい。
口頭による提示や合意ならまだしも、文書によるそれらは諸君らの想像を超えた恐ろしい失態を導きうるものだ。
例えば、同一の商材についての見積書が複数存在する場合、購入希望者はどちらかおのれに有利な方を正当な文書と見做し、それ以外の文書は黙殺すること、当然である。
契約書もしかり。
くれぐれも慎重に、ワンアンドオンリーの原則だぞ、ナンバリングと更新日時の明記を絶対に忘れるなよ。

※ 塾業界や風俗関係などであれば、うっかりミスでも土下座くらいで済まされる、かもしれない。
しかし、まともな産業のまともな産品や製品においてはちょっとしたミスのみでも復元不能なほどの大損をもたらす場合も多い。
そんなこと続けていたら多大な賠償を負うのみならず、さらには市場からバカアホ呼ばわりされて信用失墜してしまいかねないぞ。


以上