2022/03/25

早稲田政経学部 総合問題(2022)についての所感

早稲田政経学部の一般入試は毎年楽しみにしてきたし、昨年から出題形式が改変されて、ヨイ学際的な見識学識を質すようになった由、ちらっと注目はしてきた。
とくに本年の出題については(共通テスト分は別として)、いくつか論ってみたい点があるので此処に投稿する。

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【大問I】
問題文A
『グローバル化の進行とともに日本人と外国人の異文化接触も不可避となる。』
ここまで読んでウンザリした。

なるほど、各国/地域においてはさまざまな食材やエネルギー源や産品や製品さらに人材が大いに不足する場合もある。
かかる局面にてはしぜんグローバルなビジネスが活況を呈しうるし、そうすべきでもあろう。
しかし一方で、グローバル化が過度に進行すると、各国/地域にて何もかもが複製的にダブつき、似たものばかりの値下げ競争が進行しすぎてしまうことになる。
こういう局面にては各国/地域ともむしろローカル化を選択し、おのれ独自の強みを追求するもの。
…というわけで、世界の人類は或る程度まではグローバル化で相互に助け合い、或る程度からはローカル化に立ち戻って自国民の充足を強化し、古代シュメールやバビロニアやギリシアやローマ以来この繰り返しといえる。

もしもグローバル化が「人類の必然」であり「不可避」だというのであれば、それは全人類の完全な混血と国家民族の完全消失と通貨の完全統一を企図することになる ─ が、これが本当に善意の宿命といえようか?
一見、これを最もグローバルに推進している’ように映る’のは国際金融資本やネオコンや中華人民共和国だが、彼らは本当に善意の宿命の体現者か?
(カネ貸しばかりがグローバルに得をすることになりはしまいか?)


問題文B
『世界を真の危機に陥れるのは新型ウイルスではなく、それに対する「恐れ」の方だろう。』
全く理解出来ない箇所である!
世界を危機に陥れてきたのはウイルス物質であり、かつ、これを意図的にまたグローバルに悪用して利益ばかりを貪ってきた連中に決まっている。
他に何があるっていうのか。
「恐れ」は人間として当然の反応であって、世界の危機の深淵でもなく帰結でもない。


さても読み進める気が失せてしまった大問Iの問題文AとBではあるが、ちょっと面白いのは「設問5」。
或る与えられた命題が「何らかの形容」か「何かと何かの同一化」か「何かに因る何かの因果律」かを質す出題であり、早稲田理工や慶應医や法の英文解釈にてもよく問われる簡易な論理パズルである。
(…なんてことは一流高校のガキどもならどこかで習っているんだ。入試リテラシーとはこういうもの。)

さて本文Aにて、「ステレオタイプとは、限られた一面的な情報の中で、客観的な事実とは関係なく過度に一般化された…認知である」と定義されており、さらに 「…十把一絡げに自動的に他社判断をしてしまう」ともある。
つまり「ステレオタイプ」は「何かと何かの同一化」であるとおいているわけで、だからこそ、設問5にては’感染拡大’と’多様性’と'ディストピア’という因果律を語っている選択肢(ニ)のみが「ステレオタイプではない」、つまりこれが正答となる。


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【大問II】
英文解釈であり、主要な予備校の講評どおり本テキストの英文は易しいとある。
かつ、高校で真面目に社会科(政経科)の授業に挑んできた高校生であれば、聞いたような英単語タームの連発および、「GDPと財政健全性と金融支援にかかるご丁寧な欄外注釈」から、本テキストの大意をホイホイと捕捉しうるだろう。
しかし我々のようなまともな社会人が本テキストから想起してしまう真の論題は、じつはなかなか深淵なものであり、子供頭で本当に理解出来ようものか疑わしい。
いや、そこいらのチンピラチンチンみたいな英語講師にとってもおそらくは発想の及びもつかぬものである。


そもそも、欧州中銀にせよドル建てIMFにせよさまざまな金融ファンドにせよ、「ギリシアが貧しくて財政難'ゆえに'金融支援しない」のか、それとも「ギリシアが貧しくて財政難'だからこそ'金融支援する」のか、金融の世界に唯一の正道は無い。
金融は支援シェア競争でもあるが利益収奪競争でもあるからだ。
「他所がギリシアを支援するなら我らはもっと支援する」「他所が手を引くならば我らもとっとと撤退する」という具合に肚の探り合いが延々と続き、最後にババを引いたやつが大損して泣きを見るものである。
ギリシア財政当局も統計上の操作やインチキを延々と続け、我が国はこーんなにGDPが大きい、こーんなに財政は健全だと謳いつつ、一部の連中はウハウハで潤うこともあるし、大多数の国民は緊縮財政に苛まれ続けつつ貧しくなってゆくことだってありうる。


…以上の「大人の前提」をふまえつつ、本英文テキストに取り掛かってみよう。
すると、第3段落でびくっと引っ掛かってくる。
ここでは、ギリシアの 巨額の'budget deficit' が'under-reported'されてきたと明らかになって欧州を揺るがし、と記しつつも、その一方でこれを真面目に精査した(であろう)人物はむしろ'deficit'を'exaggerate'したためにこそギリシアの過度の財政緊縮をもたらしたと咎められている。
さらに、この第3段落おわり箇所にては'German-led conspiracy' ともある。
ハハーン、そうか、まさに国際金融機関とギリシア財政当局の'conspiracy'の仕掛け合いか、そういうインチキ合戦を暴いた論説なのだな、と身構えて読み進めてしまうのが「大人頭」のである。

しかし高校生の社会科で金融と財政のインチキ合戦を説いている高校はおそらくほとんどあるまい。
そして、本テキストでもインチキ合戦のトリック暴き合いはついに展開されず仕舞である。
むしろ本テキストは、どの統計や調査ではどういう数値が上がってきたとか、誰それが何を意図していたとか、グッチャグッチャ込み入った早稲田好みの分析力考査に終始しており、何度もウンザリしながら読み進めることになる。
そういうわけで英文についての解説はおわり。



絶好の良問だと察せられるのは「設問5」(1)だ。
ベンフォード法則は数学におけるトリッキーな論題の一つではあるが、理工学部の英文解釈などで出題しても面白いなと前々から睨んではいた。
それに、高校数学の外苑としてちらっと垣間見たガキどもも少なからずいることであろう。
尤も、さすがにここまでくるとただの英語バカでは手も足も出まい ─ さすが早稲田の政経だけあって学際的教養力を大いに触発してくれる。

なお、本問には「ある数の最大桁」とあるが「ある数の先頭桁の数字」と呈した方がもっと分かりやすかろうし、また「相対度数」も「相対出現度数」と
なんといっても本問の楽しさは2から215 という一連の累乗。
これらそれぞれ自然数にバラして、先頭桁での出現数字は1が4つ、2が3つ、3が2つ、4も2つ、5が1つ…と地道に検証するのが一番速いのか、或いは、もっとスマートに(自動的に)先頭桁の数をさらっと導く方策は無いものか。
もし後者をひらめいた受験生がいるとすれば超ビッグポイントを加算してやってもいいんじゃないかな、と我ら密かに冗談を飛ばし合っている ─ なぜなら我々は数学があまり得意ではないためどうにもヒラメかないからである。


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【大問III】
『オンラインでの意見交換にては各参加者はおのれの実名(real names)を開示'すべき(should)'である
─ これに'同意(agree)' か、それとも'同意せぬ(disagree)' か?英語で持論を記せ。』

なるほど一概には正論を導き難い論題であり、だからこそ英単語の語彙力やバラエティを評価することもできよう。
さて本問のひとつのトリックは'shoud'であろう ─ 'should ?'という問いかけへの回答論理は少なくとも 'should', 'don't have to', 'should not' の3通りがありうるが、それでいて'partially agree'としての見解が許されるか否かはハッキリしていない。

しかしもっと遥かに知的難度が高いのが'real names'である。
いったい、「人物」と「その自称名」を「どうやって」正当化しまた同一化するのか、如何に'real names'が'authorise'され'identify'されcertify'されえようか?
(たとえば俺は本ブログにては山本拓ということになっているが、これが本当に俺の実名なのか、いったいどういうaurhorisationに則り、オンライン環境でどのようにidentifyされ、コミュニティにて如何様にcertifyされているのか。
戸籍やマイナンバーなどなどとの法律上の整合性はどうなるのか…)
本問がどれほどの難問であるか、お分かり頂けたであろう。

このあたりまで踏まえて'real names'の開示可否を論じた子であれば、きっと近い将来にセキュリティエンジニアリングや法曹分野で利発に活躍できるのではないかと、さぁそこまでは分からないがともかくも将来有望な受験生であり、合格していればいいなとささやかに念じてもいる。


(おわり)