2018/03/21

春一番

高校卒業式の翌日のこと。
友人たちと小旅行に出かけた。
首都圏から特急で数時間、山々に囲まれた或る地方都市である。

======= ① =======

一泊した翌日、夕刻のこと。
すでに桜が開花し始めていたので、僕はこの地を去るのがどうにも惜しくなり、友人たちと別れ、一人で市内を散策することにしたのであった。
それで、しばらくそぞろ歩きしているうちに、一軒の洒落た風情の喫茶店を見つけたので、店内に歩み入った。
窓際の席に座して大きな窓から通りの向こうまで見やれば、西日が艶やかに差し込んでくる、ちょっとため息をつきつつ、ホットレモネードを注文。
店内を見回すと、大きな円形テーブルの上に英字版の観光パンフレットが並べてあったので、本当は大して読めないのに読めるふりをしつつレモネードをすすっていると。
「本当は大して読めないのに、ね」
背後から、聞き覚えのある女性の声。

はっ、と振り返ると ─ あっ!先生!
我が高校の古典科の女教師が、超本格級の美人教師が、密かにずっと恋焦がれてきたその彼女が、まさにいまそこに。
なぜ?どうして?と狼狽しかけた僕の機先を制するように、彼女の方が軽やかな口調で問いかけてきた。
「山本くん!どうしてこの町に来ているの?旅行なの?そうなのね?」
はぁ、そうです…とシドロモドロに答えかけて、おやっ、と気づいた。
彼女の背後から、がっしりとした男が顔を覗かせている。
彼は僕を怪訝そうに一瞥しつつ、「誰だい、こいつは?」
「うちの高校の生徒くん、といっても、もう卒業生だけど」
「ふーん、そうか」
「ねえ山本くん」 と、彼女はあらためて僕に向き直り、「あたしはここの町の出身なのよ、ここはあたしの故郷なの。そしてね、この彼はあたしの幼馴染、のお兄様」
「そういうわけだ、よろしくな」
「はぁ、お目にかかれまして光栄です」 と、僕はちょっとだけぶっきらぼうに答えていた。
「なんだそりゃあ?」 あっはははと彼が笑い出したので、僕はかっとなった。
「よしなさいよ、からかうのは」 と彼女がたしなめた。
彼はなおも相好を崩しながら続けた。
「よぅ、卒業生くん、こんなすごい美人の授業を受けてきた感想はどうだ?楽しかっただろう」
「あたしは美人じゃないわよね、山本くん」 と彼女もおどけた声を挙げつつ、それからすっと踵を返して女性店員に声を掛けた 「ねえ!お勘定をお願いします」
えっ?と戸惑う僕を手で制しつつ、彼女は続けた 「山本くん、今から素敵なところへ行きましょう」
「どこへ…ですか?」

====== ② ======

その「幼馴染のお兄様」は、喫茶店前に車を横付けに停めていた。
僕たちはその彼の車に乗り込み、車は町の北面に向かう。
「今からじゃ、ちょっと遅いかもしれないなあ」
「ちょうどいい時間帯だと思うわ」
そんな二人の会話を、僕はしばらく黙って聞いていたが、どうも訳が分からなかったので口を開いた。
「あのう、いったいどこへ…」
彼女が朗らかに遮った 「素晴らしいところよ、地元の人間しか知らない、隠れた名所なの」
「でも、だんだん陽が傾いてきましたけど」
「だからこそ、行くのよ」
「まあそういうことだ、君もせっかく来たんだから、立ち寄っていけばいいや。なかなか面白いところ、かもしれないぞ」
「はぁ」

やがて車は、町の北端、登山口のケーブルカー駅の前で停まった。
「さあ、降りて」 と彼女が僕を促した。
「俺も行こうか?」 と彼が。
「ううん、あたしとこの子と、二人だけで」
「ふーん…そうか…分かったよ。それじゃあ俺はここで待っている」
「さぁ、山本くん、行きましょう!」
彼女に肘を引っ張られつつ、切符を購入。
「ねえ先生、こんな時間にまだケーブルカーを運航しているんですか?」
「そうよ。この時間だからいいのよ」
「???」
彼女に誘導されるまま、ホームに停車中のケーブルカーに乗り込んでみれば、ほ~ら、やはり他の乗客は見当たらない。
さすがに、この時は僕もむくれてしまい、彼女の斜向かいにどかんと席をとり、そっぽを向いてみせた。


====== ③ ======

ほんの15分ほど、であっただろうか。
3つ目、いや4つ目の駅だったかな、彼女が「降りるわよ」と呼びかけてきたので、僕はびっくりした。
「えっ、こんなところで降りるんですか?てっぺんまで登るんじゃないんですか?」
「ここでいいのよ。さぁ、地元の人間の言うとおりにしなさい」
小さな駅に降り立つと、そこから歩いて未舗装の林道に分け入り、さらに5分ほど登ってゆく。
林を抜けた先に、小さな丘があった。
彼女が、やにわに小走りでその丘に駆け上がっていったので、弾かれるように僕もあとに続いた。
そして、見た ─ あっ、これはなんという絶景だろう!正面に聳える山々の間隙を絶妙に突き抜けて、深紅に輝く夕陽が僕たちを一直線に貫いている!
「すごい…こんなの、初めてです」 と僕はつぶやいていた。
「日本で一番の名所、あたしたち地元民は子供の頃からそんなふうに教ってきたの。でもあたしたちは心秘かに、世界で一番のスポットだと思っているのよ」
「…すごいものを見せて頂きました。ありがとうございます」
「あら、まだよ。これから、どうしても試してみたいことがあるの」
「えっ」
「間もなく、あの山々の向こうに陽が落ちる、そのせつなに…」
「えっ」

彼女はしばし沈黙した、だから僕も黙っていた、そのうちに夕陽はいよいよ沈みゆき…
「さぁ、今よ。山本くん、あの光を見て!」
彼女がすっと指さしたそれは、真っ白な光線だった、いや、色彩すらもかなぐり捨てた、むごいほどに硬質な光そのもの、とっさに察するに、いわば遥か銀河の生成期から超未来に向かってまっすぐに引かれた無限直線。
固唾を飲んでその光線を目に焼き付けていた僕の脳裏に、いや、心の奥底に、とつぜん彼女の声が飛び込んできた ─ ような気が。
それは確かに彼女から発せられたひとつのメッセージであった ─ そのメッセージが僕の全神経を電撃のように駆け巡り、僕の心の中を一瞬にして占有してしまっていた。
「あっ!」
まさにこのせつなであった、僕の心のどこかの部分が激しく放電し、それが確かに彼女の中に飛び込んで行ったのである。
それからしばらくの間、僕は、そして彼女も、一言も発することなく、闇に落ちゆく夕陽の残り火を見送っていた。


======== ④ =======

「どう?驚いたかしら?」
下りのケーブルカーの車両の中で、やっと彼女が話し始めた。
僕は黙っていた。
黙ったまま、車窓越しに闇の風景を見やっていたのだが、ガラスの中から彼女がこちらを見つめているのが分かった。
「やっぱり驚いたでしょうね。ごめんなさい」
「……」
「さっき君とあたしが感応した『あの奇跡』は、きっと、過去も未来も、主体も客体も、何もかもが交錯しつつ入れ替わる瞬間に起こるもの、そんなふうにあたしは考えることにしているの」
「……」
「ほら、あの『幼馴染のお兄ちゃん』の彼ね、彼とも試してみたことがあったんだけれど、でも何も感応しなかったの。だから、だから、君とあたしが『あの奇跡』を共有出来たことにはあたしもびっくりしているのよ」
「あのう」 と僕はやっと口を開いた 「僕には何が起こったのか全く分からないんです。分からないものは…」
「信じることは出来ないって、言いたいんでしょう。でも、君の心の一欠片はあたしに届いたのよ。ということはつまり、あたしの『メッセージ』も君のもとへ」
僕はまた黙りこくってしまった。

やがてケーブルカーが登山口の駅に到着すると、僕は一人、黙って早足で駅をあとにした。
「ちょっと待って。待ちなさい!」
僕は無言のままさらに早足になった。
それでも、彼女が後方から声高に、そしてちょっと泣き声交じりのような響きをもって投げかけてくる言葉を、どうしても捨ておくことが出来なかった。
ねえ、山本くん!もう振り向いてくれなくてもいいわよ!とにかく、さっきの『メッセージ』を忘れないでね!あたしも君のことは忘れないわよ!純粋で、内気で、慌て者で、思いあがっていて、ちょっとだけバカな…つまり、つまり、そういうどうしようもない大バカ者の君の心は、あたしのどこかに留め置かれるの。それじゃあ、これからも元気でね!もっともっと頑張ってね!さようならっ!さようならっ!」
一言の嘘も混じっていないことが、もう僕には分かっていた、だから僕はそっと涙をぬぐい、それからきっと振り返って彼女に一礼した。
彼女はかすかに笑みを浮かべたようだったが、それから『幼馴染のお兄ちゃん』が待つ車に乗り込み、そしてその車は夜桜の映える市道を抜けて夜景の中に消えていった。

翌朝は春一番が吹き荒れ、桜吹雪がきれいに舞っていた。
なお、彼女がこの地に転任となっていた由はしばらくのちに知らされたが、僕はどうにも彼女に再会する気が起こらず、だからこの地を再訪することもなく、現在に至っている。


(おわり)

謝辞

ここに提示の記事は、いずれも私自身の判断責任のもと編集・投稿したものです。

大半の投稿は学生など若年層向けを意図してやや平易な表現にて、一方では通俗性を極力回避しつつ、論旨の明示性を意図して書き綴りました。

あわせてまた、社会人の皆様にお読み頂くことも想定しつつ、汎用性高い観念知識を相応に動員しながら記した積もりです。

私なりの思考着想によるささやかな閃きが、皆様の諸活動にて何らかの光源たり得れば、望外の喜びであります。

山本