2023/10/31

【読書メモ】みんなの量子コンピュータ

みんなの量子コンピュータ クリス・バーンハルト 翔泳社

本書は3年前に日本語訳の初版が起こされたもの。
量子コンピュータにおける数学と演算について説いた概説本であり、数学ベースの著作ゆえ、発行の古い新しいは拘る必要なかろう。
本書は図案こそ控えめなものの、数式がわんさか例示されており、しかもあくまでも2次元に留めた線形代数や正規化や(基底)ベクトルや確率振幅そしてそれら複合の行列論…である由。
よって、これらに手慣れている理数系の読者であれば論旨了察は容易かろう。
そしてそういう読者なればこそ、本書後段から起こされる素子デバイス論やアルゴリズム論についてもスリリングな期待感を覚えるかもしれぬ。

但し、本書に挑むにあたっては量子力学基礎について高校~大学初頭レベルの教養が必須 ─ たとえば電子粒子独自の角運動量(スピン)その離散値、そして不確定性や測定問題などなど。
これら物理上の常識無くしてはたとえ数学論が分かっても何のこっちゃ殆ど理解進まぬのではないか。

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さて本書の最初の総括箇所は、p.46における3.2項『量子スピンの数学』および、p.59における3.9項『量子ビット』の箇所であろう。

これらから掻い摘んで要約すれば;

量子スピンがいかなる’測定’からも2つの結果しか得られぬとして、この’測定’モデルが2次元数空間R2にあると見做す。
この前提にて、量子スピンをその状態の基底ベクトルとし、「順序付き」「正規直交基底」によるブラ(行ベクトル)およびケット(列ベクトル)の単位形式にて表現、これを |b1>, |b2とする。
じっさいにスピン’測定’がなされる直前には、このスピン状態の基底ベクトルは |b1> と |b2> の線形結合として c1|b1> + c2|b2 で表現するものとする。
そしてスピン’測定’がなされた後に、このスピン状態基底ベクトルが |b1> か |b2 いずれかの状態に’ジャンプ’しているものとし、前者と成っている確率振幅が C12であり、後者と成っている確率振幅が C22 であるとする。

以上を一般形として d0|b0> + d1|b1> の形式とすると ─
基底ベクトル |b0をビット0に対応付け、基底ベクトル |b1基底をビット1に対応付ければ、d02の確率振幅にて0が得られ d12の確率振幅にて1が得られることになる。

物理上の’測定’のみでは2分法上の区分が不可能な量子スピンといえども、このように2次元空間にての状態を基底ベクトルの線形結合と見做しつつ、その’測定’前後での変身の'確率振幅’を充てこめば、綺麗に0と1を表現できることになる。
つまり量子は2進法ビットを表現出来る。


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以上を数理上の大前提とおきつつ、さらに第3章ではBB84乱数プロトコルの概括に触れている。

さらに第4章以降は「量子もつれ」(もつれさせ)における数学テクニックがつらつらと続きつつ、いわゆる「ベルの不等式」などなどをも留意させる抽象性の高い論考が飽きさせない。

さて第6章~第7章における論理演算素子まわりの論考は、ブラ・ケットの直交行列と量子回路ゲートについて、アダマールゲートやCNOTゲートの機構論および数学上の検証など。
もとより論理学と論理演算こそは社会人としての僕なりのコンピュータ事始めであり、だからこれらは僕自身としては最も楽しめる範疇である。
(一方で僕は直観的な数学勘そのもの鈍いこと自認しているし、そもそも数学は好きじゃねぇんだ。)

なお第8章の「量子アルゴリズム」となると、もはや量子の数学論を超えており、P/NP問題の引用などなど数学論そのもののスケール巨大がとてつもなく巨大であり、抽象度がとてつもなく高いためおいそれと了察できるような代物ではない。

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以上、此度の【読書メモ】は短くまとめてしまったが、本書の触れている量子まわりの数学論がどんなものであるのか、そしてどれほど多元的かつ多様に未来を臨ませうるものであるのか、皆様はあらかたお分かりのことと察する。
繰り返すが、量子力学の基本は分かった上で「数学やアルゴリズムが大好きである」という、そういう変人的な読者諸兄(とくに大学生など)に薦めてはみたい一冊ではある。

此度の投稿は「ひとまず」いったん終わりとする。

2023/10/25

【読書メモ】最新図解 船の科学

物理学の本性は、実在する何らかのモノ同士の作用/反作用、つまり’力学’。
この力学のド原則は’輸送機関’においてこそ端的に再認識出来よう。
あらゆる輸送機関は、地球上にて運用されるかぎり力学的に’無抵抗’の空間を進むことはなく、自動車は気体と個体の抵抗を克服しつつ走行し、航空機はほとんど気体の抵抗のみを克服しつつ飛行する。
では船はといえば、気体と液体(一般的には空気および水)の抵抗を克服しつつ航行する。
かつ、船はおのれ自身および積載物の質量つまり力学スケールがケタ外れに巨大な輸送機関でもある。
だから船の力学を知ることは力学自体を解剖的かつ巨視的に包括理解することともなりえよう。

…以上のような思案は、あくまで高校レベル物理に留まっている僕なりの拙き総括にすぎず、じっさいのところ輸送機関については電気系統は或る程度分かるにせよ、力学上はこれまでさして知るところではなかった。
それで、輸送機関についての平易な物理本を探し続けてはきたが、たまたま目に入ったのが本書である。
『最新図解 船の科学 池田良穂・著 講談社Blue Backs
サブタイトルとして、「基本原理からSDGS時代の技術まで」とある。
SDGSうんぬんはさておくとして、少なくとも基本原理についてちょっと学びなおしてみようかと、とりあえずは本書の「第2章:船と力」を読みぬいてみた。

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さて、’最新図解’と銘打たれているとおり、本書はところどころ要約的な図解や図案がふんだんであり、だから力学として直観的に把握しやすい箇所も散見される。
しかしながら、文面もまたしばしば要約に過ぎる箇所が多く、とりわけ「全体系」「要素」「何が」「何を」「作用/反作用」「与える/得る」「和/差」などの相対関係についてところどころ不明瞭に省略されているのが惜しまれる。
これら基本的な相対性を整然と把握出来なくても電磁場や電子については数学的に直観しえよう、しかし力学~仕事(エネルギー)まわりについての理解はどうしてもウヤムヤになってしまう。

だから、本書の第2章以降に挑む読者としては、少なくとも以下の中学~高校物理について従前に理解必須である
(僕なりに参考書類から引用・要約してみた ─ 物理選択の高校生なら誰もが概ね知っているコンテンツだ。)

或る物体の内部にて別の物体が為す力Fは、それぞれは垂直方向の圧力pともいえ、それら圧力は面積Sごとに定義できる。
面積圧力p[Pa] =  力F[N]  / 面積S[m2]

とくに、或る液中にて 密度ρ、底面積S、深さh、重力加速度gの液柱があるとして、
かつこの液柱自身の体積は V[m3] = Sh[m3] 、またこの液柱自身の密度は ρ[kg/m3
この液柱自身の質量mは 密度x体積ゆえ、ρSh[kg]
だからこの液柱自身の面積圧力p
 F[N] / 面積S[m2] = mg[N] / S[m2] = ρShg[kg] / S[m2] = ρhg[N/m2] =  ρhg[pa]

さらにこの液柱の上に大気圧p0が働いているとすると、水深hでの圧力p0 +ρhg[pa]

次に’浮力’の基本について。
或る液体あるいは気体つまり流体の中に、別密度の或る物体を置く。
この物体は流体と力の作用/反作用を為し、上下方向にては釣り合いが崩れる。
この上下方向にずれていく力をとくに浮力F[N]とする。
あらためて、上同様に密度ρ[kg/m3]、体積V[m3]、重力加速度gとし、ここで上面から押し下げる力をF1[N]、下面から押し上げる力をF2[N]とすると、
FF2 - F =  p2S p1S =  ρh2gS - ρh1gS = ρ(h2 -h1)gS
ρhgS = ρVg[N]
この ρVg[N]が 浮力F[N]によって排除された流体にかかる重力(重量)を表す

ここまでがアルキメデスによる浮力の原理。
なお、ここでの液体や液中は一般的には「水」において説明されている。

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ここまで一通り理解した上で、あらためて本書の第2章以降を読み進めてゆこう。

一般に、物体に働く重力は、その物体の体積に比例する。
また揚力は、その物体の面積までにしか比例しない。
よって、その物体サイズが大きくなると必ず重力が揚力を上回ることになる。

しかしながら、アルキメデス原理 (浮力FρVg[N] ) のとおり;
液中における物体の浮力その物体の体積に比例。
かつ、浮力は物体によって排除された液の重力に等しい。
よって、その物体がどれほどの巨大体積であっても浮力と重力を均衡させることは可能。
これが、水上における船のサイズがどこまででも巨大たりうる理由である。

ここまでが、清水(流れの静止している水)における浮力。

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しかしながら、流水における浮力となると話は更に込み入ってくる。
いわゆるベルヌーイの定理に拠って、流体の速度とその圧力、そして動圧と静圧の総圧一定則を踏まえた考察が必要。
この定理に則って ─ 船体周りの流水の速度が増せば圧力が下がり、だから船体がそれだけ沈み込むこととなり、逆にその流水の速度を落とせば滑走艇のように浮上し…うんぬん。
だがこの段になると「何が」「何を」について把握し難くなってくることは否めない。
(水と船舶のかかわりにて、何が何を与え何を得ていることになるのか。)

このベルヌーイの定理まわりについても、本書ではおそろしく要約的な引用に留まっているため、読者はあらかじめ参考書類などで了察の必要があろう。

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ざっと、本書第2章のさわりの箇所について触れただけでも、上述したように高校物理ないしそれ以上の物理学の基本素養が必須であろうこと、お分かり頂けるのではないか。


なお、本書【第4章:船の運動】をもチラリと垣間見れば、ここの冒頭部では’横揺れの運動方程式’と冠した概説もあり、いわば船にかかる力学の総合演習のごときと捉えられなくもないが、しかし本箇所も文面は省略的に留められており、一方で緻密な図案も無いため、全貌の理解はかなり難しそうである。
このあたりは ─ いわゆる質点と質量中心と重心速度、それらの運動量と運動方程式、そしてそれら複合させた剛体としての慣性モーメントうんぬんを踏まえたコンテンツであろう、そしてこれらは高校物理としてはかなりの応用範疇だ。
(それでも、駿台文庫『新・物理入門』や河合出版『理論物理への道程』などなどにてはここいらも紹介されており、だから物理が好きな高校生諸君にとっては格好の勉強対象たりえようか。


以上、此度の読書メモはあくまでもほんの一端の要約と感想に留め置くこととし、ここいらで終わり。

2023/10/20

幽霊の証明 その3

前回 (https://timefetcher.blogspot.com/2023/09/blog-post_22.htmlのさらに続きのつもりだ。
とくに今回は、'通貨(currency)'と'価値(value)'について謎かけをしてみたい。
※ 併せて、社会主義ひいては共産主義の経済系が永続しえない理由をも考えて欲しいところである。

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① 古代ローマはもとより、『羊が人間を喰う』毛織物工業の優先施策などなどを近代端緒として、欧米諸国などは時代を追うごとに植民地を増やして画一化(モノカルチャー生産)を強制してきた。

さて。
『人間がタバコや麻薬を吸う』という現象について。
これを物質・運動・仕事(エネルギー)の作用/反作用および保存則としてざーっと捉えれば、『タバコや麻薬が人間を吸う』とも表現しえよう。
では経済学上もこう言えるだろうか?
タバコや麻薬の価値を高めるためにこそ、我々人類は存続しているのだろうか?

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② 或る市場において或る素材や製法が供給不足の場合、別の市場においては別の素材や製法が陳腐化していることになる。
同じような供給と需要の偏りが、さまざまな財貨・サービスについても言えよう。
そして同様に、或る能力の人材が供給不足の場合、別の能力の人間は余っているとも言えよう。

…とすると、素材・製法・財貨・サービス・能力の画一化による利益追求は永続しえないのではないか?

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③ 特定の信用通貨は、いつでもどこでもあらゆる財貨・サービスと交換可能だという。
だから、そういう通貨こそがなによりも'効用(benefit)が高いのだと。
しかし、人間の生命活動における効用の高さをいうのなら、一番は空気と水と食料であり二番は熱源エネルギーであり三番は動力エネルギーであろう。
ではそれらは通貨よりも’価値(value)'が高いものとされているだろうか?

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④ 少なくとも物理上は、いかなる通貨も(たとえブロックチェーンのような論理通貨でも)なんらかの物質とエネルギーから成っている。
ではそもそもあらゆる物質とエネルギーの価値はとなると、電子や電荷ひとつあたりまで微分しきった価値’尺度'は誰も定めていない ─ 尺度が無いのだから基準も無い。
あくまでも、いつかどこかで誰かと誰かの暫定的な多数決により’価値’をおいているにすぎず、だからいつでもどこでも変動している。
あらゆる物質とエネルギーがこうなのだから、いかなる通貨もやはり絶対不変の価値尺度(基準)は無く、いつでもどこでも変動している。

…といった理屈は、あらゆる事業者もカネ貸しも官僚も議員もとっくのとうに分かっているはず。
それなのにどうしてカネカネと邁進し続けるのか?

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⑤ 画一性と希少性について。
一版に、経済学にては'希少性(rarity)'の高いものほど価値も高いことになっている。
とすると、画一的な財貨・サービスや画一的な人間は、もんのすごく価値が低いということになろう。
そして、誰もが画一的に必要としている空気も水も食料も熱源も動力源も、もんのすごく価値が低いってことになる。
しかしだ、この論理に則るとだぜ、画一的な信用通貨もまたとてつもなく価値が低いってことになっちゃうでしょう。

かくて画一化と価値低減化が進行していくと ─ 
あらゆる財貨もサービスも人間もそして通貨も割り算と引き算ばかり続けられていき、それでデフレが進行し、政府も大企業も信用失墜し、いずれは万物の価値が極限までゼロとなり、世界中が廃棄物と砂漠ばかりになっちゃうのでは?
(それで古代文明はどこもかしこも砂漠ばかりになってしまった?)

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⑥ 多様化について。
信用通貨の効用は、市場創造の機能だという。
いわゆる信用創造の機能も相まって、さまざまな財貨・サービスとさまざまな人間に常に新たな投資を続けることが出来ると。
このさまざまな多様化はどんどん進行していく一方だよと。
なるほどね。

ことに数学好きの連中は、世界にそして宇宙に’無限’を設定するのが好きなようである。
数学上の無限思考に準じれば、地球のサイズも国家領域のサイズもエネルギー源も水も食料も無限に増大し続け、あらゆる人種民族もあらゆるLGBTも無限に混交し続けることが出来ると、まぁそんな気が起こってくることも無くもない。
偉大なる我々人類は無限に市場拡大が出来、無限の多文化共生も出来、無限の共産主義を追求することもできようと。

しかし、こんなこと物理上ほんとに可能だろうか?
そもそも宇宙の物質とエネルギーの総量は決まっており、地球の物質量とエネルギー総量も(発掘から燃焼までの段階はともかくとして)上限は決まっているはずなのでは?
だからこそ、我々人類はおのおのが国家領域と自然環境と文化特性を有し、互いに独立しつつけじめを守ってきたのではないか?

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⑦ 通貨はその交換機能と信用機能が有ってこそ、さまざま優れた技術革新への投資が可能であるという。
そこにこそ特定通貨の価値もあり、だから特定の通貨を求めて競い合うのは健全なことだよと。
だからこそ政府は税や国債でそういう通貨を回し続けるのだと。
なるほどね。

さて、人間が為し得る最も高度な’仕事’はとなると、物理学や化学や生物学に則るならばそれは「人間の出産」であろう。
自動的な複製が出来ないからだ。 
(いや、クローン技術も万能細胞技術もあるじゃないかと、エコノミストたちは蔑笑するかもしれないが、これらによって自動的に画一的に同じ人間がぼこぼこと大量生産され、それで人間の価値がどんどん下がっていくことを望んでいるのだろうか。)

さて、人間の出産こそが最も高度な’仕事’だとすると、我々は女性たちにこそ大いに通貨を供するべきだということなろう。
本当にそうなっているだろうか?

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⑧ 通貨の最も卑近な効用は、物価の表現だという。
物価の変動に合わせてこそ、通貨価値も変動しているはずだよと。
さて物価とは何かといえば、さまざまな財貨・サービスの製造~販売までの取引価値から成っている。
だから、取引が複合的で多様な財貨・サービスほど物価を正確に反映していることにもなる。
例えば自動車がそれにあたろう。

では自動車の製造~販売価格こそが本当に通貨価値にも大いに反映されているだろうか?
自動車ではないとすると、物価と通貨価値を最も正確に反映している財貨・サービスはいったい何だろう?

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以上
あらゆる’財貨・サービス'には最善形態を設定しえないこと、またあらゆる’価値’には物理上の絶対尺度が無いということ、よって’一般意思’などなど万民不変の真理は想定のしようが無いといったところを想起したいと念じつつ、つらつらと書き連ねてみた。
まあこんなところだ。

2023/10/10

【読書メモ】 樹木が地球を守っている

 『樹木が地球を守っている ペーター・ヴォールレーベン著 早川書房

本書はさまざま樹木(森林)がさまざま有する驚くべき「知性」について、諸々の小稿にて多方面に思考を触発し誘い続けるなかなかの快作だ。
同著者が以前に著した『樹木たちの知られざる生活』の続編とも見做せよう。
動物とは比較にならぬほど不明瞭な樹木の生態、そして昆虫や微生物らとともに遥か長尺かつ巨大に織り成す自然森林の超世界 ─ これらは我々人類から見ればまさに異次元の’社会構造’とすら捉えられうる。
よって、我々人類が発動すべき巨視的な想像力も人間社会や動物世界に対するそれらの比ではなく、ここに学術的な深みも広さも大いに見いだせよう。

ただし。
本書の諸々の小稿はそれぞれ理知的な深みこそあれ、いかんせん図案や図説が全く掲載されておらず、さらに文面にては接続(副)詞がしばしば省略的ゆえ、ところどころ論旨が雑駁ないし不明瞭に映ってしまうところ実に惜しまれる。
学生諸君などは、生物学や化学の基礎教養をあらためて想起しつつ本書に挑みたい。

ともあれ、僕なりに何とか論旨を斟酌しつつ本書『第一部 樹木の知恵』をざっと読み通してみたところ、おそらくは以下が学術上の大要ではないかと察する。

・樹木はおのれ自身の感知能力によって、昼の長さや気温の変化そして季節変遷を悟り、それによっておのれの生理活動を調整している。
・かつ、樹木は自然環境に迎合する他律的な適者生存には留まらず、むしろ自律的な学習と知識蓄積を続け、自律的な試行錯誤も続けている。
・また、それぞれが永い年月に亘ってエネルギー能力を自身の内に蓄積し続けている。
・おのおの生物はDNA配列とその経年変化のみに一様に準じているわけではなく、さまざま遺伝子(メチル分子)が成すいわば’遺伝暗号’が、周辺環境や刺激に応じてそれぞれ機能を発現したりやめたり ─ これが遺伝子のエピジェネティクス機能(プロセス)。 
・さまざまな生命は、おのれを攻撃する種に対する防衛本能発現によって、その種との「共進化」を継続中、とも考えられるが、この進化の過程は巨大に過ぎるため人類には捕捉し難い。 
・生命における新種の登場についても、人類がその過程を捕捉するのは困難であろう。
 
…こんなところでまあ大筋は当たっているんじゃないかしら。
それでは、本書『第一部 樹木の知恵』における具体的な実験事例などなどついて、此度の【読書メモ】として以下に要約略記する。





・暗闇中のエンドウ豆の葉に外部刺激を与えて反応を確かめる実験。
光照射と空気噴射を同時に為すと、エンドウ豆の葉は光合成のため光の方位に反応して開き、次に光照射と空気噴射を止めると葉は元の位置に閉じる。
この実験を幾度も繰り返したのちに、今度は光は照射せぬままに空気噴射のみを行うと、驚くべきことにエンドウ豆の葉はその空気のみに反応して光合成を図る(ように映る)。
このことから、エンドウ豆は空気噴射から光照射を連想し’学習’している ─ と類推可能。

このような連想と学習の能力はあらゆる植物が有しており、これゆえに植物は自然環境によるさまざま外部刺激に複雑に対応、その経験則を記憶しながら生存し続けている。

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・おのおの樹木は四季変遷を一応は感知しつつも、「たまたま」体内のエネルギーが過剰ないし不足する場合には通常のシーズンとは異なるエネルギー生成と消費を率先する「こともある」。

例えばトチノキは、自身に蓄えられた糖分エネルギー次第では初秋に新芽を出してしまうことがあり、これによって樹上の落葉が阻害されると光合成の効率が悪くなるため、却ってエネルギー不足に陥る場合もあり得、その対処のためになおさら新芽を増やす場合すらある。
それどころか、このまま冬眠期を迎えると自発的な落葉が出来なくなるため、結果的に冬の間に枯れてしまうこともある。
これらは愚かしい生存プロセスとも言えようが、こういうケースさえも自律的にとりうるということだ。

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・樹木の根は、重力方向に向かうのみならず、独自の光センサも有し、また地中の毒物を独自判断で回避しており、これらによって根を常に最適方向に伸ばし続ける。
さらに根は土壌中の水分量を検知してこれを葉に送信しており、葉はこれを受けて気孔を開閉して糖分生産量と水分消費量を調整している。

干ばつによって土壌から水分が失われると、根が糖分消費を節約はじめ、これに応じて樹木の上部で糖分が蓄積、そして葉は気孔を閉じてしまう。
これでも樹木は内部エネルギーを消費しながら生存し続け、さらに酸素を吸って二酸化炭素を吐くようになる。
やがて干ばつが去ると、従来以上に葉が二酸化炭素を吸収して糖分生成に励む。

とはいえ、深刻な干ばつが続く場合には樹木の光合成が停止してしまい、これによってすべての葉が落ちてしまい、細根が壊死してしまうので水分吸収が出来なくなり、こうして樹木そのものが死ぬ。

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・ドイツの森の樹木の細根は、炭素同位体の崩壊測定に拠れば平均で11~13歳のはずであるが、実際にこの年輪を確かめると未だ1~3歳にすぎない。
この若さの源泉は細根自身による永年の栄養素蓄積であり、このエネルギー蓄積~転用能力あってこそ樹木が干ばつにさえも対応し続けてきたと見做せる。

このように、樹木が秘める物質エネルギーは’古さ’ほど経験量の多さでもあり、よって単純な世代交代を設定することは困難である。


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・ヨーロッパナラとフユナラは、もともと異なった気候に生じた別々の樹種に見えるが、じっさいは一樹種のナラにすぎないとの見方。
遺伝学的検査によれば、ヨーロッパナラの祖先は氷河期の後の気候温暖化に応じて、乾燥気候のスペインから湿度高いドイツへと渡ってきたことになり、そのためかヨーロッパナラは干ばつにも強い。
そもそも、ナラの花粉は風に乗って何キロメートルも離れた樹で受粉しうる。

樹木は自律的に試行錯誤と学習を続けつつ進化(あるいは絶滅)しうる。
ドイツの森林の中では、ヨーロッパナラとフユナラがほどよく混じり合って中間形態を成している。
さらに想像すれば、混じり合いの過程で新種すらも徐々に生まれつつあるのかもしれない ─ この過程はあまりにも長大な時間がかかるため、人間には観察しきれないかもしれないが。

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・樹齢300年の永きにわたってさまざま外部刺激に晒されてきたであろうポプラ樹の観察例。
このポプラ樹におけるこの古い枝と新しい枝の葉を観察したところ、新しい枝の葉ほど遺伝子変化の’形跡’が多い ─ つまり、新しい枝葉ほど永年の遺伝子エピジェネティクス’経験値'を多く蓄積してきたことになる。
しかも、ここで見られる遺伝子変化はDNAの突然変異よりも約1万倍も速く進行していたことが明らかになった。

逆の実証例。
10年間に亘って人口給水を豊富になされたアカマツと、あまりなされなかったアカマツ、この両者の対象実。
やがてこの人口給水を止めてみると、前者のアカマツの種子は乾燥に弱く、後者の種子は乾燥に強い種であることが確かめられた。
前者のアカマツは乾燥状態を生き抜く遺伝子変化を行ってこなかったため、とされる。

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・樹木の紅葉期における葉の変色では、黄色い変色よりも赤い変色の方がエネルギーを要するが、いったいなぜ赤く変色する樹木が存在するのかはいまだに分かっていない。

さてアブラムシは赤い色を識別出来ず、だからアブラムシはリンゴの緑や黄色の葉に付きやすく赤い葉には付かない。
これがためにこそ葉を赤く変色するリンゴ樹木が出現し、こうしてアブラムシもリンゴもそれなりの「共進化」を続けてきた、とも考えられる。

ともあれ、これまで人類はこの事実を追求せぬまま永年に亘ってリンゴの人工栽培を続け、あくまでも農業ビジネス上のみの都合から緑や黄色の葉のリンゴを増やしてきた。
ただし人工培養種のリンゴであっても、アブラムシ媒介の病気に罹りやすくなった樹は実際に赤い葉を増やすことが分かっており、やはり人間のあずかり知らぬところで「共進化」は進行中とも考えられる。


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以上、『第一部』における多くの小稿のうちから、あくまでもほんの断片ながらざっくりと要約してみた。
なおこの第一部にては、まだまだ論考ふんだんであり、例えば水の循環と樹木の生態そして森林のありようと気候についてなどなどなかなかのスケール感、多くの実例含め合わせて論説がふんだんだ。

さて第二部以降は森林保全と環境保全に纏わる政策論が展開されていくようにも見受けられるが、ここいらはまた気が向いたらざっくりと読みとおしてみる(かもしれない)。

一応おわり