2023/10/20

幽霊の証明 その3

前回 (https://timefetcher.blogspot.com/2023/09/blog-post_22.htmlのさらに続きのつもりだ。
とくに今回は、'通貨(currency)'と'価値(value)'について謎かけをしてみたい。
※ 併せて、社会主義ひいては共産主義の経済系が永続しえない理由をも考えて欲しいところである。

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① 古代ローマはもとより、『羊が人間を喰う』毛織物工業の優先施策などなどを近代端緒として、欧米諸国などは時代を追うごとに植民地を増やして画一化(モノカルチャー生産)を強制してきた。

さて。
『人間がタバコや麻薬を吸う』という現象について。
これを物質・運動・仕事(エネルギー)の作用/反作用および保存則としてざーっと捉えれば、『タバコや麻薬が人間を吸う』とも表現しえよう。
では経済学上もこう言えるだろうか?
タバコや麻薬の価値を高めるためにこそ、我々人類は存続しているのだろうか?

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② 或る市場において或る素材や製法が供給不足の場合、別の市場においては別の素材や製法が陳腐化していることになる。
同じような供給と需要の偏りが、さまざまな財貨・サービスについても言えよう。
そして同様に、或る能力の人材が供給不足の場合、別の能力の人間は余っているとも言えよう。

…とすると、素材・製法・財貨・サービス・能力の画一化による利益追求は永続しえないのではないか?

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③ 特定の信用通貨は、いつでもどこでもあらゆる財貨・サービスと交換可能だという。
だから、そういう通貨こそがなによりも'効用(benefit)が高いのだと。
しかし、人間の生命活動における効用の高さをいうのなら、一番は空気と水と食料であり二番は熱源エネルギーであり三番は動力エネルギーであろう。
ではそれらは通貨よりも’価値(value)'が高いものとされているだろうか?

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④ 少なくとも物理上は、いかなる通貨も(たとえブロックチェーンのような論理通貨でも)なんらかの物質とエネルギーから成っている。
ではそもそもあらゆる物質とエネルギーの価値はとなると、電子や電荷ひとつあたりまで微分しきった価値’尺度'は誰も定めていない ─ 尺度が無いのだから基準も無い。
あくまでも、いつかどこかで誰かと誰かの暫定的な多数決により’価値’をおいているにすぎず、だからいつでもどこでも変動している。
あらゆる物質とエネルギーがこうなのだから、いかなる通貨もやはり絶対不変の価値尺度(基準)は無く、いつでもどこでも変動している。

…といった理屈は、あらゆる事業者もカネ貸しも官僚も議員もとっくのとうに分かっているはず。
それなのにどうしてカネカネと邁進し続けるのか?

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⑤ 画一性と希少性について。
一版に、経済学にては'希少性(rarity)'の高いものほど価値も高いことになっている。
とすると、画一的な財貨・サービスや画一的な人間は、もんのすごく価値が低いということになろう。
そして、誰もが画一的に必要としている空気も水も食料も熱源も動力源も、もんのすごく価値が低いってことになる。
しかしだ、この論理に則るとだぜ、画一的な信用通貨もまたとてつもなく価値が低いってことになっちゃうでしょう。

かくて画一化と価値低減化が進行していくと ─ 
あらゆる財貨もサービスも人間もそして通貨も割り算と引き算ばかり続けられていき、それでデフレが進行し、政府も大企業も信用失墜し、いずれは万物の価値が極限までゼロとなり、世界中が廃棄物と砂漠ばかりになっちゃうのでは?
(それで古代文明はどこもかしこも砂漠ばかりになってしまった?)

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⑥ 多様化について。
信用通貨の効用は、市場創造の機能だという。
いわゆる信用創造の機能も相まって、さまざまな財貨・サービスとさまざまな人間に常に新たな投資を続けることが出来ると。
このさまざまな多様化はどんどん進行していく一方だよと。
なるほどね。

ことに数学好きの連中は、世界にそして宇宙に’無限’を設定するのが好きなようである。
数学上の無限思考に準じれば、地球のサイズも国家領域のサイズもエネルギー源も水も食料も無限に増大し続け、あらゆる人種民族もあらゆるLGBTも無限に混交し続けることが出来ると、まぁそんな気が起こってくることも無くもない。
偉大なる我々人類は無限に市場拡大が出来、無限の多文化共生も出来、無限の共産主義を追求することもできようと。

しかし、こんなこと物理上ほんとに可能だろうか?
そもそも宇宙の物質とエネルギーの総量は決まっており、地球の物質量とエネルギー総量も(発掘から燃焼までの段階はともかくとして)上限は決まっているはずなのでは?
だからこそ、我々人類はおのおのが国家領域と自然環境と文化特性を有し、互いに独立しつつけじめを守ってきたのではないか?

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⑦ 通貨はその交換機能と信用機能が有ってこそ、さまざま優れた技術革新への投資が可能であるという。
そこにこそ特定通貨の価値もあり、だから特定の通貨を求めて競い合うのは健全なことだよと。
だからこそ政府は税や国債でそういう通貨を回し続けるのだと。
なるほどね。

さて、人間が為し得る最も高度な’仕事’はとなると、物理学や化学や生物学に則るならばそれは「人間の出産」であろう。
自動的な複製が出来ないからだ。 
(いや、クローン技術も万能細胞技術もあるじゃないかと、エコノミストたちは蔑笑するかもしれないが、これらによって自動的に画一的に同じ人間がぼこぼこと大量生産され、それで人間の価値がどんどん下がっていくことを望んでいるのだろうか。)

さて、人間の出産こそが最も高度な’仕事’だとすると、我々は女性たちにこそ大いに通貨を供するべきだということなろう。
本当にそうなっているだろうか?

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⑧ 通貨の最も卑近な効用は、物価の表現だという。
物価の変動に合わせてこそ、通貨価値も変動しているはずだよと。
さて物価とは何かといえば、さまざまな財貨・サービスの製造~販売までの取引価値から成っている。
だから、取引が複合的で多様な財貨・サービスほど物価を正確に反映していることにもなる。
例えば自動車がそれにあたろう。

では自動車の製造~販売価格こそが本当に通貨価値にも大いに反映されているだろうか?
自動車ではないとすると、物価と通貨価値を最も正確に反映している財貨・サービスはいったい何だろう?

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以上
あらゆる’財貨・サービス'には最善形態を設定しえないこと、またあらゆる’価値’には物理上の絶対尺度が無いということ、よって’一般意思’などなど万民不変の真理は想定のしようが無いといったところを想起したいと念じつつ、つらつらと書き連ねてみた。
まあこんなところだ。