(1) いや、もう、ともかく、こっちが何言ったって話半分しか聞いてないんだから。
女子というのは、なんだか一人でモゴモゴ言っているかと思えば、すぐに皆が同調してモゴモゴ言っているわけで、そういう共有力というか常識力というべきか、むしろ男子よりも優れているんじゃないかと思われるので、放っておいたほうがよいや、ということになる。
男子は成長するに従い、なんでも「人間以外のもの」に分解し、還元し、まあモナド単子とでもいうべきか、そういうレベルにまで落とし込んで、それから厳密に是非を判断したいんだけどね。
だからどうしても理屈だけになりがちなんだよ。
それで気位が高いとか口先だけだなどと、女子に批判されたりするんだけど、もちろん特段気取ったり威張ったりしているわけではない。
一方で、女子はつくづく逆だね、いつでも、全部、何もかも人間ありきで、人間単位で考えているようだから、人間の常識力が高くなるんじゃないかしら。
常識といえば。
女性は地図が読めない、とか、男性は外国語が苦手だ、とかいうが、これはたぶん正確ではない。
女性は地図が読めないのではなくて、たぶん自然環境や居住空間などが地図に記号化されているのが嫌なんじゃないかな、と察する。
その証拠に、地図がなくても皆でわさわさと群れて移動しながらちゃんと目的に到着してしまう。
いくら適当な嘘を教えても、どういうわけかちゃんと束になってやってきやがる。
(一方で男性は外国語が苦手なのではなくて、知識を詰め込むのはきっと女性よりも得意だが、自分の納得出来ないことや関心の無いことを読んだり語ったりするのが苦痛でたまらないから、出来るだけ黙っているのに過ぎない。)
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(2) しかし。
放っておけばよい、では済まされない時代がじきに到来するのではないか、と男性として心配もしている。
女性たちによる世界侵略が、徐々にではあるが確実に進行しているのではなかろうか。
既にその予兆が多く顕在化している。
たとえば、予備校や健康サークルや家電量販店や旅行代理店はじめ、サービス産業の多くは、女性のクチコミというものを極めて重視している。
それは、クチコミは必ず正しいと女たちが信じていて、だから本当にクチコミが正論になり、それでいよいよ女性客が増えるからなんだね。
そういう女たちの相乗効果を大いに期待して、広告が女性客向けのものになったり、○○ネットみたいに女性向けに耳障りの良いトーンで「これらぜんぶあわせて、なんと2万円ですよ!みなさん!」などと喋ってみたり。
それどころか、営業そのものも女性に任せるのがよい、ということになる。
いつかも書いた記憶があるが ─ (特定の技術製品や危険物は別として)、汎用品でかつ数の勝負が問われる製品やサービスは、絶対に女性が営業したほうが良い。
そういう量販型の製品やサービスは、女性が女性と価格交渉や納期交渉をした方が、早く一気にまとまるに決まっている。
じじつ、そういう産業が時代をおうごとに増えているんでしょう?
サービス産業が増えていき、消費がGDPを占めていくという現代の一連の経済ダイナミズムは、みんな女性向けのシフトなのではないか?
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(3) …という圧倒的な奔流について、大半の企業もとっくに気づいているから、女子採用はどんどん増えているだろうし、これからも女子の消費購買層の拡大とともに女性中心で運用されるサービス業が増える。
そりゃ確かに、雇用機会「均等」の見せかけ上、採用条件で「女性のみ可」などと記せないもんだから、しぶしぶ男子も募集しているが、男子の応募書類などは人事勤労部門が予算消化のために仕方なく右から左に転がしているんでしょうよ。
で、いやいやながら男子の応募者とも面接なんかしちゃって、終わったらとっととシュレッダー行きじゃないかな、と睨んでいる 。
もちろん、この傾向がずっと続けば、とりわけサービス業などはおそらく大半が女性従業員だらけになるし、そうなると企業の法務も総務も人事勤労も女たちに乗っ取られるから、労働協約も服務規程も女性向けにどかどかっと改編されるだろう。
そして…いずれは政府も裁判所も女たちにジャックされ、労働基準法そのものの大胆な改編にもつながろうか、と想像したりする。
そうなると生理休暇どころか数年に亘る育児休暇取得も当然のごとくで、かつ女性の方が高給取りになっていたりして。
そこで、男性がそーっと小声で非難でもしようものなら、女たちがガーガーと何十人も束になって、「何言ってんのよ!彼女が居ない間あんたが徹夜して頑張ればいいじゃないのッ!男だったらそのくらいしなさいよッ!」 などと吊るし上げのリンチ状態か。
これは考えるだけでもうんざりする情景だぞ。
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(4) どうしてほとんど議論されないのかしらないが、(おそらく男たちが必死になって隠しているのだろうが)、未来予測の最大のポイントは、女性たちが需要面も供給面も牛耳ってしまう恐怖の世界の実現にあろう。
文字通り、世界的に経済成長(=規模の増大と機会の拡大と対人品質の向上)に従い、こういう展開が予想される。
そうなると、「外国の女性はもっと男性に尽くしているよ、黙って低賃金労働に耐え忍んでいるよ」 などと言い返すことも出来なくなる。
ああ ─ どうしてこんなことになったのだろうか。
やっぱり女に参政権を与えたり、大学に入れたり、雇用機会均等法などを通したりしたのが間違いだったのではないか。
それでも。
男性のように、「本当にこれで、正しいのだろうか」 「俺はこんなことで、よいのだろうか」などとひとりひとりが真摯に自問自答してくれれば、まだ女たちに「懐柔」や「買収」を仕掛ける余地もあろう。
しかし女たちには 「本当に」 も 「よいのだろうか」 もへったくれもないわけで、とにかくワーワーと多勢にものを言わせてなんでも通すだろうから、騙しようがない。
古来、フランス革命や米騒動などのように女たちがワーワーと暴れて、男性の美しき秩序を破壊してしまった例は多いという。
数十年前のアメリカ大リーグでも、労働者の女性たちを無料で観戦に招待してやったら、ワーワーとものすごく集まってきて、もう試合展開などいっさい無視、ファンの選手にひっきりなしに嬌声をあげたり、ものを投げ込んだり、椅子を壊したり、挙句に集団ヒステリーを起こして球場を燃やしたり
─ という戦慄の記録が残っており、だから女性感謝デーのようなものはスポーツではタブーになっている。
してみると、中国の女性の纏足というのは実は偉大な叡智であったのかもしれない。
そういうこと分かっていて、20世紀後半になってから女たちを野放しにしてきたのはどういうわけであろうか?
もう、手遅れなのであろうか?
以上