2018/07/25

パイレーツの砦

かつて、英国に出張していた時期のこと。
それは、ロンドンの事務所を拠点に、自社製の或るセキュリティ関連システムの技術提案と拡販を図った、業務出張であった。


その出張の2週間目だか、3週間目であったろうか。
初夏の時節に差し掛かったその週末、僕は同行の某エンジニア氏に暇乞いをし、彼をロンドンに残したまま、ブライトンへ小旅行に出かけた。
ブライトンはよく知られるとおりイングランド南部の海辺の観光都市であり、「気晴らしの物見遊山ならブライトンが面白いぞ、カネ持ちとバカがワンサカと合流する処だ」 などとロンドン事務所員から仄めかされていたこともあって、それで、ふっと出かけてみる気になったのである。

ブライトン駅に着き、浜辺からちょっと奥まった処にあるこじんまりとしたホテルに宿をとったのが、土曜の夕刻であった。
夕刻にチェックインしたのは、もちろん意図があってのこと、ブライトンの風情を楽しむならば夕刻過ぎた時間帯と相場が決まっているのだ、と聞かされていたため。
こじんまりとしたホテルに宿泊したのにも訳があって、それはもちろん、たかが土曜一泊のみの気晴らし旅行にて、浜辺の大通りに豪壮に立ち並ぶ高額のリゾートホテルに予約する気にはならなかったためである。

さて日暮れ時になり、ネオンも煌びやかにずらーっと立ち並ぶそれらデラックスなリゾートホテルの大通りを散策してみれば、それぞれのホテルの地階にて洒落たレストランや粋な土産店が楽し気に営業中で、浜風もなかなか心地よい。
なーるほど、ここはロンドンとは一味も二味も違う風情の別天地だなあ、などと眩い想いで感心しているうちに…さぁ、いよいよ日没時、どんどん繰り出してくる観光客たち、ヘーイ!とかヨォー!などという歓声やさらに嬌声の入り交じりが、なんとも楽しくブライトン風の盛り上がりを見せてくるのであった。


やがて、夜もいよいよ更けて。
喫茶店でくつろいでいると、漆黒の沖合にせり出してキラキラと輝いている桟橋に気づいた。
ふーん、あんな海の上でも店舗らしきが営業中か ─ 遠目にではあるがレストランやパブのごときに見やれた。
僕は興味を惹かれ、その桟橋に足を運んでみることにした。

ずんずんと渡っていくと、数件立ち並ぶパブや出店の先に、 「Pirates Fort」 というテント張りの建屋がある。
ほぅ、海賊どもの砦、ってわけか。
(あ、英語名詞の形容詞用法では原則として単数形を用いるので、'pirate fort'が正しいのだ、などという向きもあろうが、ちょっと黙っててもらおう。)
まさか、本当に海賊みたいな狂暴なやつらが待ち構えていて、客の身ぐるみ剥いで死体を海に捨ててしまう訳でもあるまい、と心中で苦笑しつつ、僕は思いきってその海賊どものテント建屋に足を踏み入れてみた。

そこには、20人くらいの客が酒と皿料理、ワイワイガヤガヤと楽しそうな歓声、ウェイトレスらしき女が3人だか4人だか、肌も露わな恰好で、客たちと雑談を交わしつつ素っ頓狂な笑い声を挙げており…。
なんだここは、キャバレーか、と僕は失笑しつつも、出入口に一番近いテーブルに座を据えた。
すると、いわゆる女将「然」とした中年女が出てきて、ねえあんた、これからちょいとしたマジックショウタイムだから楽しんでいきなさい、という。
僕はビールを頼みつつ、さてどんなマジックショウが始まるのかとドキドキしていたら、なーんのことはない、ウェイトレスたちがトランプカードを客に引かせて、その数を言い当てるといった類のもの。



さて。
僕が退屈そうな素振りでビールを空けつつ、ロンドン事務所のことやエンジニア氏のことをぼやっと考えていた、そんな頃合いである、さっきの女将が一人の若い女を連れて現れた。
女将は言う 「ねえあんた、外国人なんだろう、だからね、ホンモノの魔法を見せてあげる。ほら、この娘、なんと読心術を使うんだよ」
「へぇ?」 と僕は怪訝に顔を挙げた。
その娘は、僕の真向かいに腰掛けて、僕の目をつい、と見据えつつ ─ あら、あなたは今、ロンドンでのお仕事のことを考えていらっしゃるのね』
僕はドキッとして、弾かれたように立ち上がりかけ、それから、勢いをつけて座り直した。
なんだ、くだらないハッタリ問答でも始めるつもりか、ははは…
だが、彼女はちょっとだけ笑みを浮かべつつ、さらりと応える。
『ハッタリではございません。どうかご立腹なさらぬよう』
僕はちょっとだけカッとなった…インチキだ、インチキに決まっている…そうだ、言葉だ、俺が今まさに心中に走らせているこの日本語の思念が、彼女に分かるのはおかしいじゃないか!
だが、これもまた読み取ったのであろうか、彼女は笑みを浮かべたまま続けた。
『人間の意識は、言語を超えているのです。だから、あなたがどんな言語で思念しようとも、私は読み取ることが出来るのですよ』
誘導だ、誘導問答だ!と僕は心中でいきり立っていた。
…よーし、この娘に分かりようのない思念をぶつけてやる…うむ、そうだ、日本のことを考えよう…家のこと、会社のこと…。
このとき、彼女はまたも僕の瞳を覗き込み、それからついと宙空を見上げ、面白そうな声で続けたのである。
『あなたは東洋の人なのね、どこかしら…日本…あなたは日本のことを考えていらっしゃるでしょう』

あっ。
僕はとうとう立ち上がり、ビール代金をテーブルに置き捨て、出口を抜けて桟橋を小走りに、いや、次第に疾走しつつ、さらに街中を走り通して、我が安ホテルに戻っていた。
シャワーをかぶりながら、戦慄していた…まさか、まさか、この安ホテルの場所だって、もうあの娘には知れてしまっているのでは、もしかしたら、既にもうそのあたりに来ているのでは…
いよいよ冷や汗が止まらなかった。




翌・日曜の朝は、昼前まで寝ていた。
それからホテルをチェックアウトし、前夜の「海賊どもの砦」のことを思い返し、どうしても確かめたくて、その桟橋に向かってみたが、夕刻までは立ち入り出来ぬ由とのこと。
その夕刻まで待って、あらためて確かめてみることにしようか…ちらりと考えたが、いやそうまでせずともよかろう、「あれ」はちょっとした錯覚や勘違いの類だったのかもしれぬし、と思い返してみた。

それから、僕は昼過ぎの列車に乗ってロンドンに戻っていた。


そして月曜の朝。
同行のエンジニア氏ともども、事務所に出勤するや否や、我々のオフィスで電話が鳴った。
それは、納入済の或るシステムで特定のプログラムが突然終了してしまう旨の緊急連絡であった。
さぁ、これは厄介なバグだぞ、などと、エンジニア氏が分厚いファイルをひっくり返し、僕は急ぎのメールを関係部署に書きかけて…。
そこへ、技術スタフのシャーロットが我々のサポート係として入室してきたので、僕は彼女に問いかけてみた。
「ねえ、シャーロット。ヘンな質問だけど勘弁ね。数学上の推論はいつだって『正しい』とされているでしょう?それなのに、なぜ人間はアルゴリズムや言語において『エラー』を犯すのかな?」
シャーロットはちょっとだけ思案した風であったが、それから毅然とした表情で答えた。
「そうね、数学が本当に『正しい』かどうかは、フランス人にでも訊いてみたら?ともかくも、既にシステムは実際に納入済み、そして現実に『エラー』も起こっているんだから、それらに人間技で対処するしかないわね」
その通りだな、と僕はとりあえず納得し、事態顛末の報告メールを書き連ねていった。

この出張から帰国後、もうずいぶん経つ。
それでも、あの「海賊どもの砦」における不思議な出来事を幾度となく思い返してみることがある。
もう一度、あらためて、あの超能力娘に挑戦してみようか、いや、違う、あれはやっぱり俺の勘違い、いや、それも違う、あれはどこまでも現実であり…。
そんなふうに、一人ひそかに逡巡しつつ、いったい、「エラー」はなぜ起こるのか、我々の論理の欠陥か、言語の宿命なのか、或いは人間の本性なのか、そして、全く「エラー」の無い論理が実在するとしたら…うぬ、それは夢かうつつか、まぼろしか、まったく踏ん切りがつかぬまま現在に至っている。

それでも宇宙は依然として存続している。


おわり

謝辞

ここに提示の記事は、いずれも私自身の判断責任のもと編集・投稿したものです。

大半の投稿は学生など若年層向けを意図してやや平易な表現にて、一方では通俗性を極力回避しつつ、論旨の明示性を意図して書き綴りました。

あわせてまた、社会人の皆様にお読み頂くことも想定しつつ、汎用性高い観念知識を相応に動員しながら記した積もりです。

私なりの思考着想によるささやかな閃きが、皆様の諸活動にて何らかの光源たり得れば、望外の喜びであります。

山本