それはロンドンの事務所を拠点に、自社製の或るセキュリティ関連システムの技術提案と拡販を図った、業務出張であった。
①
その出張の2週間目だか、3週間目であったろうか。
初夏の時節に差し掛かったその週末、僕は同行の某エンジニア氏に暇乞いをし、彼をロンドンに残したまま、ブライトンへ小旅行に出かけた。
よく知られるとおり、ブライトンはイングランド南部の海辺の観光都市。「気晴らしの物見遊山ならブライトンが面白いぞ、カネ持ちとバカがワンサカと合流する処だ」 などとロンドン事務所員から仄めかされていたこともあって、それで、ふっと出かけてみる気になったのである。
ブライトン駅に着き、浜辺からちょっと奥まった処にあるこじんまりとしたホテルに宿をとったのが、土曜の夕刻であった。
夕刻にチェックインしたのは、もちろん意図があってのこと、ブライトンの風情を楽しむならば夕刻過ぎた時間帯と相場が決まっているのだ、と聞かされていたため。
こじんまりとしたホテルに宿泊したのにも訳があって、たかが土曜一泊のみの気晴らし旅行にて、浜辺の大通りに豪壮に立ち並ぶ高額のリゾートホテルに予約する気にはならなかったためである。
さて日暮れ時になり、ネオンも煌びやかにずらーっと立ち並ぶそれらデラックスなリゾートホテルの大通りを散策してみれば、それぞれのホテルの地階にて洒落たレストランや粋な土産店が楽し気に営業中で、浜風もなかなか心地よい。
なーるほど、ここはロンドンとは一味も二味も違う風情の別天地だなあ、などと眩い想いで感心しているうちに…
さて。
僕がビールを空けつつ、ロンドン事務所のことやエンジニア氏のことをぼやっと考えていた、そんな頃合いである。
ブライトン駅に着き、浜辺からちょっと奥まった処にあるこじんまりとしたホテルに宿をとったのが、土曜の夕刻であった。
夕刻にチェックインしたのは、もちろん意図があってのこと、ブライトンの風情を楽しむならば夕刻過ぎた時間帯と相場が決まっているのだ、と聞かされていたため。
こじんまりとしたホテルに宿泊したのにも訳があって、たかが土曜一泊のみの気晴らし旅行にて、浜辺の大通りに豪壮に立ち並ぶ高額のリゾートホテルに予約する気にはならなかったためである。
さて日暮れ時になり、ネオンも煌びやかにずらーっと立ち並ぶそれらデラックスなリゾートホテルの大通りを散策してみれば、それぞれのホテルの地階にて洒落たレストランや粋な土産店が楽し気に営業中で、浜風もなかなか心地よい。
なーるほど、ここはロンドンとは一味も二味も違う風情の別天地だなあ、などと眩い想いで感心しているうちに…
さぁ、いよいよ日没時、どんどん繰り出してくる観光客たち、ヘーイ!とかヨォー!などという歓声やさらに嬌声の入り交じりが、なんとも楽しくブライトン風の盛り上がりを見せてくるのであった。
やがて、夜もいよいよ更けて。
喫茶店でくつろぎつつ、沖合を見やってみれば、漆黒の海にせり出した桟橋がキラキラと輝いている。
ふーん、あんな海の上でも店舗らしきが営業中か ─ 遠目にではあるがレストランやパブのごときに見やれた。
②
喫茶店でくつろぎつつ、沖合を見やってみれば、漆黒の海にせり出した桟橋がキラキラと輝いている。
ふーん、あんな海の上でも店舗らしきが営業中か ─ 遠目にではあるがレストランやパブのごときに見やれた。
興味をそそられて、僕はその桟橋に足を運んでみることにした。
ずんずんと渡っていくと、数件立ち並ぶパブや出店の先に、 「Pirates Fort」 というテント張りの建屋がある。
ほぅ、海賊どもの砦、ってわけか。
(あ、英語名詞の形容詞用法では原則として単数形を用いるので、'pirate fort'が正しいのだ、などという向きもあろうが、ちょっと黙っててもらおう。)
まさか、本当に海賊みたいな狂暴なやつらが待ち構えていて、客の身ぐるみ剥いで死体を海に捨ててしまう訳でもあるまい、と心中で苦笑しつつ、僕は思いきってその海賊どものテント建屋に足を踏み入れてみた。
そこには、20人くらいの客が酒と皿料理、ワイワイガヤガヤと楽しそうな歓声、ウェイトレスらしき女が3人だか4人だか、肌も露わな恰好で、客たちと雑談を交わしつつ素っ頓狂な笑い声を挙げており…。
なんだここは、キャバレーか、と僕は失笑しつつも、出入口に一番近いテーブルに座を据えた。
すると、いわゆる女将「然」とした中年女が現れた。
ずんずんと渡っていくと、数件立ち並ぶパブや出店の先に、 「Pirates Fort」 というテント張りの建屋がある。
ほぅ、海賊どもの砦、ってわけか。
(あ、英語名詞の形容詞用法では原則として単数形を用いるので、'pirate fort'が正しいのだ、などという向きもあろうが、ちょっと黙っててもらおう。)
まさか、本当に海賊みたいな狂暴なやつらが待ち構えていて、客の身ぐるみ剥いで死体を海に捨ててしまう訳でもあるまい、と心中で苦笑しつつ、僕は思いきってその海賊どものテント建屋に足を踏み入れてみた。
そこには、20人くらいの客が酒と皿料理、ワイワイガヤガヤと楽しそうな歓声、ウェイトレスらしき女が3人だか4人だか、肌も露わな恰好で、客たちと雑談を交わしつつ素っ頓狂な笑い声を挙げており…。
なんだここは、キャバレーか、と僕は失笑しつつも、出入口に一番近いテーブルに座を据えた。
すると、いわゆる女将「然」とした中年女が現れた。
これからちょいとしたマジックショウタイムだから、楽しんでいきなさい、と言う。
さてどんなマジックショウが始まるのだろうかと、僕はビール傾けながらちょっと期待感もあったが、なーんのことはない、ウェイトレスたちがトランプカードを客に引かせて、その数を言い当てるといった類のもの。
③
さて。
僕がビールを空けつつ、ロンドン事務所のことやエンジニア氏のことをぼやっと考えていた、そんな頃合いである。
さっきの女将が一人の若い女を連れて現れると、歌うように話しかけてきた。
「ねえ、ねえ、あんた、ホンモノの魔法を見せてあげる。ほら、この娘はなんと読心術を使うんだよ」
「へぇ?」 と僕は怪訝に顔を挙げ、その娘をついと見上げてみた。
その娘はといえば、僕の真向かいにすっと腰掛けて、僕の目をついと見据えつつ ─ 『あら、あなたは今、ロンドンでのお仕事のことを考えていらっしゃるのね』
僕はドキッとして、弾かれたように立ち上がりかけ、それから、勢いをつけて座り直した。
な~んだ、くだらないハッタリ問答でも始めるつもりか、ははは…
彼女はといえば、ちょっとだけ笑みを浮かべつつ、さらりと応えてくる。
『ハッタリではございません。どうかご立腹なさらぬよう』
僕はちょっとだけカッとなった…インチキだ、インチキに決まっている…そうだ、言葉だ、俺が今まさに心中に走らせているこの日本語の思念が、彼女に分かるのはおかしいじゃないか!
だが、これもまた読み取ったのであろうか、彼女は笑みを浮かべたまま続けた。
『人間の意識は、言語を超えた情景なのです。だから、あなたがどんな言語で思念しようとも、私は情景として読み取ることが出来るのですよ』
誘導だ、誘導問答だ!と僕は心中でいきり立っていた。
よーし、この娘に分かりようのない思念をぶつけてやる…うむ、そうだ、日本のことを考えよう…家のこと、会社のこと…。
このとき、彼女はまたも僕の瞳を覗き込み、それからついと宙空を見上げ、面白そうな声で続けたのである。
『あなたは東洋の人なのね、どこかしら…Tokyo, Tokyo, ああ、Japan …あなたは日本のことを考えていらっしゃるでしょう』
あっ。
僕はとうとう立ち上がり、ビール代金をテーブルに置き捨て、出口を抜けて桟橋を小走りに、いや、次第に疾走しつつ、さらに街中を走り通して、我が安ホテルに戻っていた。
シャワーをかぶりながら、戦慄していた…まさか、まさか、この安ホテルの場所だって、もうあの娘には知れてしまっているのでは、もしかしたら、既にもうそのあたりに来ているのでは…
いよいよ冷や汗が止まらなかった。
翌・日曜の朝は、昼前まで寝ていた。
それからホテルをチェックアウトし、前夜の「海賊どもの砦」のことを思い返し、どうしても確かめたくて、その桟橋に向かってみたが、夕刻までは立ち入り出来ぬ由とのこと。
その夕刻まで待って、あらためて確かめてみることにしようか…ちらりと考えたが、いやそうまでせずともよかろう、「あれ」はちょっとした錯覚や勘違いの類だったのかもしれぬし、と思い返してみた。
それから、僕は昼過ぎの列車に乗ってロンドンに戻っていた。
そして月曜の朝。
同行のエンジニア氏ともども、事務所に出勤するや否や、我々のオフィスで電話が鳴った。
それは、納入済の或るシステムにて「特定のルーチンが解を導かずに延々と繰り返される」、そういった旨の緊急連絡であった。
さぁこれは厄介なバグだぞ、などと、エンジニア氏が分厚いファイルをひっくり返し、僕は急ぎのメールを関係部署に書きかけて…。
そこへ、技術スタフのシャーロットが我々のサポート係として入室してきたので、僕は彼女に問いかけてみた。
「ねえ、シャーロット。ヘンな質問だけど勘弁ね。数学上の推論はいつだって『正解』に落ち着くはずでしょう?それなのに、なぜ人間意識アルゴリズムや言語において『不合理』を犯すのかな?」
シャーロットはちょっとだけ思案した風であったが、それから毅然とした表情で答えた。
「そうね、数学が本当に『正解』を導くかどうかは、フランス人にでも訊いてみたら?ともかくも、既にシステムは納入済み、そして現実に『エラー』も起こっているんだから、それらに人間技で対処するしかないわね」
その通りだな、と僕はとりあえず納得し、事態顛末の報告メールを書き連ねていった。
この出張から帰国後、もうずいぶん経つ。
それでも、あの「海賊どもの砦」における不思議な出来事を幾度となく思い返してみることがある。
もう一度、あらためて、あの超能力娘に挑戦してみようか、いや、違う、あれはやっぱり俺の勘違い、いや、それも違う、あれはどこまでも現実であり…。
僕はドキッとして、弾かれたように立ち上がりかけ、それから、勢いをつけて座り直した。
な~んだ、くだらないハッタリ問答でも始めるつもりか、ははは…
彼女はといえば、ちょっとだけ笑みを浮かべつつ、さらりと応えてくる。
『ハッタリではございません。どうかご立腹なさらぬよう』
僕はちょっとだけカッとなった…インチキだ、インチキに決まっている…そうだ、言葉だ、俺が今まさに心中に走らせているこの日本語の思念が、彼女に分かるのはおかしいじゃないか!
だが、これもまた読み取ったのであろうか、彼女は笑みを浮かべたまま続けた。
『人間の意識は、言語を超えた情景なのです。だから、あなたがどんな言語で思念しようとも、私は情景として読み取ることが出来るのですよ』
誘導だ、誘導問答だ!と僕は心中でいきり立っていた。
よーし、この娘に分かりようのない思念をぶつけてやる…うむ、そうだ、日本のことを考えよう…家のこと、会社のこと…。
このとき、彼女はまたも僕の瞳を覗き込み、それからついと宙空を見上げ、面白そうな声で続けたのである。
『あなたは東洋の人なのね、どこかしら…Tokyo, Tokyo, ああ、Japan …あなたは日本のことを考えていらっしゃるでしょう』
あっ。
僕はとうとう立ち上がり、ビール代金をテーブルに置き捨て、出口を抜けて桟橋を小走りに、いや、次第に疾走しつつ、さらに街中を走り通して、我が安ホテルに戻っていた。
シャワーをかぶりながら、戦慄していた…まさか、まさか、この安ホテルの場所だって、もうあの娘には知れてしまっているのでは、もしかしたら、既にもうそのあたりに来ているのでは…
いよいよ冷や汗が止まらなかった。
④
翌・日曜の朝は、昼前まで寝ていた。
それからホテルをチェックアウトし、前夜の「海賊どもの砦」のことを思い返し、どうしても確かめたくて、その桟橋に向かってみたが、夕刻までは立ち入り出来ぬ由とのこと。
その夕刻まで待って、あらためて確かめてみることにしようか…ちらりと考えたが、いやそうまでせずともよかろう、「あれ」はちょっとした錯覚や勘違いの類だったのかもしれぬし、と思い返してみた。
それから、僕は昼過ぎの列車に乗ってロンドンに戻っていた。
そして月曜の朝。
同行のエンジニア氏ともども、事務所に出勤するや否や、我々のオフィスで電話が鳴った。
それは、納入済の或るシステムにて「特定のルーチンが解を導かずに延々と繰り返される」、そういった旨の緊急連絡であった。
さぁこれは厄介なバグだぞ、などと、エンジニア氏が分厚いファイルをひっくり返し、僕は急ぎのメールを関係部署に書きかけて…。
そこへ、技術スタフのシャーロットが我々のサポート係として入室してきたので、僕は彼女に問いかけてみた。
「ねえ、シャーロット。ヘンな質問だけど勘弁ね。数学上の推論はいつだって『正解』に落ち着くはずでしょう?それなのに、なぜ人間意識アルゴリズムや言語において『不合理』を犯すのかな?」
シャーロットはちょっとだけ思案した風であったが、それから毅然とした表情で答えた。
「そうね、数学が本当に『正解』を導くかどうかは、フランス人にでも訊いてみたら?ともかくも、既にシステムは納入済み、そして現実に『エラー』も起こっているんだから、それらに人間技で対処するしかないわね」
その通りだな、と僕はとりあえず納得し、事態顛末の報告メールを書き連ねていった。
この出張から帰国後、もうずいぶん経つ。
それでも、あの「海賊どもの砦」における不思議な出来事を幾度となく思い返してみることがある。
もう一度、あらためて、あの超能力娘に挑戦してみようか、いや、違う、あれはやっぱり俺の勘違い、いや、それも違う、あれはどこまでも現実であり…。
いったい、次元やフェーズの「混線」あるいは「ずれ」がなぜ起こるのか、我々の意識の欠陥か、数学や論理の欠陥か、或いは人間の本性なのか、踏ん切りがつかぬまま現在に至っている。
さらに考えてみる ─ 仮に「混線」も「ずれ」も皆無の完全な同調と同期が実在するとしたら…うぬ、それは夢かうつつかまぼろしか。
それでも、宇宙は依然として存続し続けている。
おわり
それでも、宇宙は依然として存続し続けている。
おわり