そこで偶々目にしたのが此度紹介の一冊だ。
『トコトンやさしい クロスカップリング反応の本 鈴木章 監修 日刊工業新聞社 B&Tブックス』
本書の主題であるクロスカップリング反応技術とは、いわゆる有機合成の最先端にして最も活用性と普及性の高い技術である。
とりわけ理系分野の学生諸君には是非とも関心を払って欲しい、未来志向バツグンの技術/製品分野である。
本書は、相応の化学式(構造式)は挙げられているものの、込み入った化学計算式はほとんど引用されておらず、ゆえに一般読者にとって概略を了察しやすいコンテンツといえよう。
(とはいえ、化学分野の仔細に乏しい僕などの読者にとっては、「トコトン易しい」わけではない。)
さて、本書前段部における大いなる要諦は、有機ハロゲン化合物を試薬(素材)とし、そのカップリングパートナー試薬として有機ホウ素化合物をおいた、典型的なクロスカップリング反応技術としての「鈴木・宮浦反応」である。
なるほど、クロスカップリング反応は理念上はけして真新しいものではないにせよ、実現技術はまだまだ検証の端緒についたばかり…そして本書後段部においてはデッカイ未来に突き抜けた多様な製品化アプリケーションの可能性がふんだんに挙げられている!
※ 因みに、鈴木・宮浦反応にて冠されている「鈴木」氏こそが、2010年ノーベル化学賞受賞、そして本書監修の鈴木章氏である。
さて、此度の僕なりの「読書メモ」を、本書の第2章までのコンテンツをもとに以下列記する。
(なお、技術開発における主要段階で活躍された化学者たちの実績については、やや細かくなるので具体的引用は差し控えた。)
<クロスカップリング反応技術の意義>
複数の有機化合物の試薬にて、炭素の結合を狙いどおりの位置/方向に組み替え、さまざまな新規の有機合成を実現すること。
本来、炭素原子は互いに安定力が極めて強く、容易には切り離しも組み替えも出来ないが、そこを化学反応によって克服し有機合成の可能性を格段に広げてきたのが「クロスカップリング反応技術」である。
<鈴木・宮浦反応の基本>
クロスカップリング反応技術の現代における基本形が、第7項(p.25)に要約されている 「鈴木・宮浦反応」である。
有機ハロゲン化合物を試薬の一方とし、またもう一方には有機ホウ素化合物をカップリングパートナー試薬として、新たな有機化合物を組み上げる反応技術であり、その要領を概説すると以下のとおり。
① 酸化的付加反応: 試薬である有機ハロゲン化合物に、パラジウムが触媒として電子を与えて2価となり、これによって炭素とハロゲンの結合が切れる
→ まずは「炭素-パラジウム-ハロゲンの複合体」が出来る。
② トランスメタル化反応: この複合体に、カップリングパートナー試薬である有機ホウ素化合物(ボロン酸)をぶつけると、ホウ素とパラジウム触媒に結合していた運搬基が交換される
→ これにより「炭素-パラジウム-炭素の複合体」が出来る。
③ 還元的脱離反応: この複合体から電子が奪われてパラジウムが元に戻りつつ、成果物として 「炭素-炭素の新たな結合による新たな有機化合物」が合成出来る。
この鈴木・宮浦反応フローを基本として、現在までに試薬として起用出来る「分子構造ヴァリエーション」が、第16項(p.43)にマトリクスとしてまとめられている。
すなわち ─ ハロゲン化合物およびホウ素化合物それぞれの 「アルキル型、アリル型、ビニル型、芳香族型、アルキニル型」 分子をクロスカップリングさせることにより、じつに多様に新規の有機化合物を合成することが出来る。
なお、鈴木・宮浦反応は世界的にみても最も優れたクロスカップリング反応技術であるが、特許出願をせず、このため世界中で製品化に活用されている!
<試薬: 有機ハロゲン化合物>
いわゆるハロゲン原子 ─ フッ素、塩素、臭素、ヨウ素は電気陰性度が大きく、よって上に挙げた酸化的付加反応を進めやすい。
実際のハロゲン化ベンゼン(環)の反応性は;
・ヨードベンゼンならば、室温で酸化的付加反応がすすみ、よって一般市販の金属触媒で済む。
・プロモベンゼンは80℃の加熱で酸化的付加反応が起こるが、これも一般市販の金属触媒で済む。
・クロロベンゼンは、200℃まで加熱しても、通常状態のパラジウム触媒では酸化的付加反応が起こらない。
・フルオロベンゼンは、これまでのところ酸化的付加反応が起こっていない。
なお、実際にはハロゲン原子を含まない「疑ハロゲン」有機化合物を試薬として起用する場合もある。
<カップリングパートナー試薬>
上で挙げたトランスメタル化反応(運搬基の交換)を進めるため、カップリングパートナー試薬が用いられる。
鈴木・宮浦反応ではパートナー試薬として主に有機ホウ素化合物が用いられるが、このメリットは、空気や水分にて安定しており、特殊な反応操作やその装置を必要とせず、反応が高収率で進行すること、併せて、スズ化合物のような毒性もないこと。
尤も、ホウ素と炭素は共有結合をとるため、トランスメタル化反応のための分極を起こしにくく、このため有機ホウ素化合物は予め塩基を結合させた錯体とし炭素のイオン化を促進、その上で起用している。
なお、この他にパートナー試薬として起用される有機金属化合物としては、有機亜鉛化合物、有機リチウム化合物、有機マグネシウム化合物(グリニャール)などがある。
さらに、金属化合物にとどまらず、オレフィン化合物、アセチレン化合物、アミンなどもパートナー試薬として起用されている。
<目的成果物 - 共役ジエン構造の化合物>
クロスカップリング反応のひとつの主目的は、共役ジエン構造(炭素の二重構造)を立体的に成す有機化合物の合成~応用製品化である。
鈴木・宮浦反応にて、ビニル型構造のハロゲン化合物とホウ素化合物をクロスカップリング反応させ、さらに反応プロセスにて水酸化カリウムなどの塩基も加えると、意図したとおりのシス/トランスの共益ジエン構造化合物を合成出来る。
ひとつの大成果は、天然海産物であるパリトキシンの毒性を精査するための人工合成であり、巨大分子構造かつ多くの官能基を有する水溶性の物質であるが、水溶液中でこの人工合成を実現、これを最終工程で成し遂げたのが鈴木・宮浦反応によるジエン合成技術であった。
<目的成果物 - ビアリール化合物>
やはりクロスカップリング反応の主目的のひとつは、ベンゼン環が2つ「非対称に」「ビアリール」連結した芳香族の有機化合物を合成~応用製品化すること。
鈴木・宮浦反応によって、狙い通りの非対称なビアリール連結が実現している。
ビアリール連結の有機化合物が、医薬品、農薬品、液晶、発光ダイオード、有機電子材料などで活用されている。
<触媒と配位子>
クロスカップリング反応の触媒としては、パラジウムのほか、ニッケルなども起用される。
パラジウムもニッケルも遷移金属であるが、これらに配位子イオンを配位結合させて錯体とすれば、試薬化合物との酸化的付加反応や還元的離脱反応が容易になる。
配位結合させるイオンとしては、リン配位子(ホスフィン)、N-ヘテロ型環状カルベン、窒素配位子(アミン類)などがある。
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ざっと、以上までが本書における技術概論 ─ の、さらに僕なりの抜粋と概括である。
本書の第5章(p・84)以降は、クロスカップリング反応技術による有機合成の製品実用例について紹介が続く。
それらは ─ 薄型素材としての液晶材料ディスプレイ、有機EL材料ディスプレイ、そして、レジスト材料(半導体)や有機トランジスタ、さらには、農薬(殺菌剤)、抗がん剤や抗HIV剤、細胞染色剤、イオンセンサー、腫瘍マーカーまで…。
例えばだが、クロロ原料と塩化ビニルのクロスカップリング反応でPTBSモノマーを合成するにあたり、東ソーが世界で初めて鉄触媒を起用、こうして合成されたPTBSが現在の半導体のレジスト材料に起用されている、云々について。
このレベルまでテクニカルに了察出来る読者ならば、今日のリアリティはむろん未来像までもが実践的なものたりえよう。
まこと、本書は農林水産業・工業・医療分野まで多くの知見の源泉としても、意義付けの大いなるものであり、クロスカップリング反応による有機合成の現状と可能性につき、いつでも手元におきつつ参照し続けたい一冊なのである。
以上