2022/03/25

早稲田政経学部 総合問題(2022)についての所感

早稲田政経学部の一般入試は毎年楽しみにしてきたし、昨年から出題形式が改変されて、ヨイ学際的な見識学識を質すようになった由、ちらっと注目はしてきた。
とくに本年の出題については(共通テスト分は別として)、いくつか論ってみたい点があるので此処に投稿する。

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【大問I】
問題文A
『グローバル化の進行とともに日本人と外国人の異文化接触も不可避となる。』
ここまで読んでウンザリした。

なるほど、各国/地域においてはさまざまな食材やエネルギー源や産品や製品さらに人材が大いに不足する場合もある。
かかる局面にてはしぜんグローバルなビジネスが活況を呈しうるし、そうすべきでもあろう。
しかし一方で、グローバル化が過度に進行すると、各国/地域にて何もかもが複製的にダブつき、似たものばかりの値下げ競争が進行しすぎてしまうことになる。
こういう局面にては各国/地域ともむしろローカル化を選択し、おのれ独自の強みを追求するもの。
…というわけで、世界の人類は或る程度まではグローバル化で相互に助け合い、或る程度からはローカル化に立ち戻って自国民の充足を強化し、古代シュメールやバビロニアやギリシアやローマ以来この繰り返しといえる。

もしもグローバル化が「人類の必然」であり「不可避」だというのであれば、それは全人類の完全な混血と国家民族の完全消失と通貨の完全統一を企図することになる ─ が、これが本当に善意の宿命といえようか?
一見、これを最もグローバルに推進している’ように映る’のは国際金融資本やネオコンや中華人民共和国だが、彼らは本当に善意の宿命の体現者か?
(カネ貸しばかりがグローバルに得をすることになりはしまいか?)


問題文B
『世界を真の危機に陥れるのは新型ウイルスではなく、それに対する「恐れ」の方だろう。』
全く理解出来ない箇所である!
世界を危機に陥れてきたのはウイルス物質であり、かつ、これを意図的にまたグローバルに悪用して利益ばかりを貪ってきた連中に決まっている。
他に何があるっていうのか。
「恐れ」は人間として当然の反応であって、世界の危機の深淵でもなく帰結でもない。


さても読み進める気が失せてしまった大問Iの問題文AとBではあるが、ちょっと面白いのは「設問5」。
或る与えられた命題が「何らかの形容」か「何かと何かの同一化」か「何かに因る何かの因果律」かを質す出題であり、早稲田理工や慶應医や法の英文解釈にてもよく問われる簡易な論理パズルである。
(…なんてことは一流高校のガキどもならどこかで習っているんだ。入試リテラシーとはこういうもの。)

さて本文Aにて、「ステレオタイプとは、限られた一面的な情報の中で、客観的な事実とは関係なく過度に一般化された…認知である」と定義されており、さらに 「…十把一絡げに自動的に他社判断をしてしまう」ともある。
つまり「ステレオタイプ」は「何かと何かの同一化」であるとおいているわけで、だからこそ、設問5にては’感染拡大’と’多様性’と'ディストピア’という因果律を語っている選択肢(ニ)のみが「ステレオタイプではない」、つまりこれが正答となる。


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【大問II】
英文解釈であり、主要な予備校の講評どおり本テキストの英文は易しいとある。
かつ、高校で真面目に社会科(政経科)の授業に挑んできた高校生であれば、聞いたような英単語タームの連発および、「GDPと財政健全性と金融支援にかかるご丁寧な欄外注釈」から、本テキストの大意をホイホイと捕捉しうるだろう。
しかし我々のようなまともな社会人が本テキストから想起してしまう真の論題は、じつはなかなか深淵なものであり、子供頭で本当に理解出来ようものか疑わしい。
いや、そこいらのチンピラチンチンみたいな英語講師にとってもおそらくは発想の及びもつかぬものである。


そもそも、欧州中銀にせよドル建てIMFにせよさまざまな金融ファンドにせよ、「ギリシアが貧しくて財政難'ゆえに'金融支援しない」のか、それとも「ギリシアが貧しくて財政難'だからこそ'金融支援する」のか、金融の世界に唯一の正道は無い。
金融は支援シェア競争でもあるが利益収奪競争でもあるからだ。
「他所がギリシアを支援するなら我らはもっと支援する」「他所が手を引くならば我らもとっとと撤退する」という具合に肚の探り合いが延々と続き、最後にババを引いたやつが大損して泣きを見るものである。
ギリシア財政当局も統計上の操作やインチキを延々と続け、我が国はこーんなにGDPが大きい、こーんなに財政は健全だと謳いつつ、一部の連中はウハウハで潤うこともあるし、大多数の国民は緊縮財政に苛まれ続けつつ貧しくなってゆくことだってありうる。


…以上の「大人の前提」をふまえつつ、本英文テキストに取り掛かってみよう。
すると、第3段落でびくっと引っ掛かってくる。
ここでは、ギリシアの 巨額の'budget deficit' が'under-reported'されてきたと明らかになって欧州を揺るがし、と記しつつも、その一方でこれを真面目に精査した(であろう)人物はむしろ'deficit'を'exaggerate'したためにこそギリシアの過度の財政緊縮をもたらしたと咎められている。
さらに、この第3段落おわり箇所にては'German-led conspiracy' ともある。
ハハーン、そうか、まさに国際金融機関とギリシア財政当局の'conspiracy'の仕掛け合いか、そういうインチキ合戦を暴いた論説なのだな、と身構えて読み進めてしまうのが「大人頭」のである。

しかし高校生の社会科で金融と財政のインチキ合戦を説いている高校はおそらくほとんどあるまい。
そして、本テキストでもインチキ合戦のトリック暴き合いはついに展開されず仕舞である。
むしろ本テキストは、どの統計や調査ではどういう数値が上がってきたとか、誰それが何を意図していたとか、グッチャグッチャ込み入った早稲田好みの分析力考査に終始しており、何度もウンザリしながら読み進めることになる。
そういうわけで英文についての解説はおわり。



絶好の良問だと察せられるのは「設問5」(1)だ。
ベンフォード法則は数学におけるトリッキーな論題の一つではあるが、理工学部の英文解釈などで出題しても面白いなと前々から睨んではいた。
それに、高校数学の外苑としてちらっと垣間見たガキどもも少なからずいることであろう。
尤も、さすがにここまでくるとただの英語バカでは手も足も出まい ─ さすが早稲田の政経だけあって学際的教養力を大いに触発してくれる。

なお、本問には「ある数の最大桁」とあるが「ある数の先頭桁の数字」と呈した方がもっと分かりやすかろうし、また「相対度数」も「相対出現度数」と
なんといっても本問の楽しさは2から215 という一連の累乗。
これらそれぞれ自然数にバラして、先頭桁での出現数字は1が4つ、2が3つ、3が2つ、4も2つ、5が1つ…と地道に検証するのが一番速いのか、或いは、もっとスマートに(自動的に)先頭桁の数をさらっと導く方策は無いものか。
もし後者をひらめいた受験生がいるとすれば超ビッグポイントを加算してやってもいいんじゃないかな、と我ら密かに冗談を飛ばし合っている ─ なぜなら我々は数学があまり得意ではないためどうにもヒラメかないからである。


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【大問III】
『オンラインでの意見交換にては各参加者はおのれの実名(real names)を開示'すべき(should)'である
─ これに'同意(agree)' か、それとも'同意せぬ(disagree)' か?英語で持論を記せ。』

なるほど一概には正論を導き難い論題であり、だからこそ英単語の語彙力やバラエティを評価することもできよう。
さて本問のひとつのトリックは'shoud'であろう ─ 'should ?'という問いかけへの回答論理は少なくとも 'should', 'don't have to', 'should not' の3通りがありうるが、それでいて'partially agree'としての見解が許されるか否かはハッキリしていない。

しかしもっと遥かに知的難度が高いのが'real names'である。
いったい、「人物」と「その自称名」を「どうやって」正当化しまた同一化するのか、如何に'real names'が'authorise'され'identify'されcertify'されえようか?
(たとえば俺は本ブログにては山本拓ということになっているが、これが本当に俺の実名なのか、いったいどういうaurhorisationに則り、オンライン環境でどのようにidentifyされ、コミュニティにて如何様にcertifyされているのか。
戸籍やマイナンバーなどなどとの法律上の整合性はどうなるのか…)
本問がどれほどの難問であるか、お分かり頂けたであろう。

このあたりまで踏まえて'real names'の開示可否を論じた子であれば、きっと近い将来にセキュリティエンジニアリングや法曹分野で利発に活躍できるのではないかと、さぁそこまでは分からないがともかくも将来有望な受験生であり、合格していればいいなとささやかに念じてもいる。


(おわり)




2022/03/22

春一番

(※ しばらく前に書いたものをちょっと改変してみた。もともと光電子などについてちらほら考えていたさいに思いついたもの。)


高校卒業式の翌日、僕は友人たちと連れ添って小旅行に出かけた。
首都圏から特急で数時間、山々に囲まれた或る地方都市である。
のんびりと2泊しつつ、僕たちはこの地の風味を堪能、満喫した。

そして最終日の夕刻。
すでに開花し始めていた桜並木の市道、僕たちは名残惜し気にそぞろ歩きしつつ駅へと向かったのだが ─ じつは僕だけはどうにも不思議な直観、むしろ予感めいた’何か’に突き動かされ、それで、駅前に着くと友人たちに別れを告げ、僕一人あらためて踵を返すと、再び街中へと…



どうも、冴えないわね。
いったい何の話が始まるのかな、うーむ、きっと詰まらない話に違いないと、読者の多くは早くも苦笑しつつ、このページを閉じてしまうかもしれないわ。
あなたのお話はインパクトに欠けるのよ、どこに主張がありどこに仕掛けがあり、どこから離陸しどこに着陸するのか、なんとも分かり難いのよね。
さぁ、どうするの?
とりあえず書きかけたんだから、このまま続ける?
それとも、やっぱり止める?


======= ① =======


目抜き通りに面した洒落た風情の喫茶店を見とめ、僕は引き寄せられるようにその店内に歩み入った。
「ここだ、ここに違いない」 と僕は察していた 「ここから’何か’が起こる。不思議な巡り合わせがきっと起こる」
'何か' ─ それは僕なりに表現すれば魂の位相と波動のイメージであり、エネルギー循環のイメージでもあった。
あらためて引き寄せられるように、僕は窓際の席に座し、大きな窓から通りの向こうまで見やった。
西日がまっすぐに差し込んでくる。
ちょっとため息をつきつつ、ホットレモネードを注文。


それから店内を見回せば、大きな円形テーブルの上に英字版の観光パンフレットが並べてある。
僕はそれを一つ手に取ると、本当は大して読めないのにと失笑を浮かべつつも、ちょっと鷹揚な姿勢をとりつつその英文に目を通し始め…。
「本当は大して読めないのに、ね」
背後から投げかけられたその言、それは聞き覚えのある艶やかな女性の肉声。
はっ、と振り返ってみれば ─ あっ!先生!
我が高校の古典科担当、ずっと憧れていた超本格級の美人教師が!

なぜ?どうして?と腰を浮かせかけた僕の機先を制しつつ、彼女は悪戯っぽい顔を浮かべて僕の眼前に歩み入ってきた。
「どうしてあたしがここに居るのかって?それはね、ここがあたしの故郷だからよ。ただいま帰省中なの」
「…そうだったんですか」
「それで、山本くんはどうしてこの街に来ているのかしら?」
あくまでも卒業旅行における偶然でして、と答えようとした僕をまたも制しつつ、彼女はまじまじと僕の表情を見やりながら続けた。
「…そう、偶然の旅行なのね。あたしにとっても素敵な偶然!びっくりよ!」


おやっ、と僕は気づいた。
彼女の背後からがっしりとした男が顔を覗かせ、僕を怪訝そうに一瞥しつつ、「誰だい、こいつは?」 と。
「あたしの高校の卒業生くん」
「ふーん」
「ねえ山本くん」 と彼女は顔だけこちらに向き直った 「この彼はあたしの’幼馴染のお兄様’なのよ」
「そういうわけだ、よろしくな」
「はぁ、お目にかかれまして光栄です」 と、僕はちょっとだけぶっきらぼうに答えていた。
「なんだそりゃあ?もっとまともに挨拶出来ないのか君は」
あっはははと彼が笑い出し、僕はかっとなった。
「よしなさいよ、からかうのは」 と彼女がたしなめてくれたが、その’幼馴染のお兄様’はなおも相好を崩しながら続けた。
「よぅ、卒業生くん、こんなすごい美人の授業を受けてきて、さぞや楽しかっただろう」
 

僕の正面に腰を下ろすと、彼女はまたも悪戯っぽい表情を浮かべつつ口を開いた。
「ねぇ山本くん、君はテレパシーについてどう思う?信じるかしら、それとも信じられないかしら」
「テレパシー、ですか?さぁ、それはなんとも…」
「そんなもん、信用出来ないよなぁ!」と’お兄様’が大きく反り返った。
彼女が微かながらも意地悪そうな表情に転じた。
「だからあなたはあたしの気持ちが分からないのよ。そして vice versa ! あたしにもあなたの本音は分からず仕舞いだわ」
僕は呆気にとられていた ─ それでも、この2人の会話と表情から大勢を伺い知ることは出来た。
なんだ、要するにこの2人はそういうことなのか。
「要するにそういうことなのよ、山本くん」



ふふん。
あたしのことを、美人だの、超本格級だのと。
ねえ、あなた、これまで何人も何人も美人教師を登場させてきたわね。
あたしもその仲間入りってことかしら。
それで、あたしが大いに感じ入り、あなたの筆運びを艶やかに色付かせてゆくとでも?
そうはならないわよ。
今回のお話は、あたしと’お兄様’のエピソード、その枠内で落ち着いてゆくの。
あなたにいろいろと脚色して欲しくはないし、そんな義理も無い。
ましてや、あなたの出番などあろうはずも無いの。
さっさと東京へお帰りなさい。


====== ② ======


僕はなんとも気まずくなっていた。
だから咄嗟に出まかせを口走っていたのだった。
「あのう、ともかくですね、まさかこの街で先生にお会い出来るとはびっくりです、とても嬉しいです。それで…そのぅ、僕はもうそろそろ東京に戻ろうかと思いまして…」
「へーー?そうなの?本当に帰るつもりなの?ふーーーん。だけど山本くん、君は’あの名所’へは行ってみたのかしら?」
「えっ?どの名所ですか?」
「なるほど」と’お兄様’が相槌を打った 「せっかくこの街に来たのに、あそこまで足を伸ばさずして帰っちまうのは勿体ないなぁ」
「いったい、何処のことですか?」
「ふふっ、やっぱり行ってないのね。それじゃあ、これからでも行ってみる?日没時だから丁度いいわよ」
「行くって…どこへ、ですか?」



ちょっと待ってよ!
話の流れが変わってきたじゃないの。
’あの名所’について書くなんて、あなた、いったい何を目論んでいるの?
妙な胸騒ぎがするわ、ねえ、もう止めて頂戴、この話はお仕舞よ、あなたは夜桜を名残惜しみつつも東京に帰って行きましたとさ、そして4月からは晴れて大学生、夢と希望の新たなシーズンへと。
はい、以上でこの話はお仕舞!The End, period.



僕たちは、’お兄様’の車に乗り込んだ。
そして、車は町の北面に向かう。
やがて車は、町の北端、登山口のケーブルカー駅の前で停まった。

「さあ、降りて」 と彼女が僕を促した。
「俺も行こうか?」 と'お兄様’が。
「ううん、あたしとこの子と、二人だけで」
「ふーん…そうか…分かったよ。それじゃあ俺はここで待っている」
「さぁ、山本くん、行きましょう!」
彼女に肘を引っ張られつつ、切符を購入。
「ねえ先生、こんな時間にまだケーブルカーを運航しているんですか?」
「そうよ。この時間だからいいのよ」
「???」
彼女に誘導されるまま、ホームに停車中のケーブルカーに乗り込んでみれば、ほ~ら、やはり他の乗客は見当たらない。
さすがに、この時は僕もむくれてしまい、彼女の斜向かいにどかんと席をとり、そっぽを向いてみせた。


====== ③ ======


ほんの15分ほど、であっただろうか。
3つ目、いや4つ目の駅だったかな、彼女が「降りるわよ」と呼びかけてきたので、僕はびっくりした。
「えっ、こんなところで降りるんですか?てっぺんまで登るんじゃないんですか?」
「ここでいいのよ。さぁ、地元の人間の言うとおりにしなさい」

小さな駅に降り立つと、そこから歩いて未舗装の林道に分け入り、さらに5分ほど登ってゆく。
林を抜けた先に、小さな丘があった。
彼女が、やにわに小走りでその丘に駆け上がっていったので、弾かれるように僕もあとに続いた。
そして、見た ─ あっ、これはなんという絶景だろう!正面に聳える山々の間隙を絶妙に突き抜けて、深紅に輝く夕陽が僕たちを一直線に貫いている!
「すごい…こんなの、初めてです」 と僕はつぶやいていた。
「日本で一番の名所、あたしたち地元民は子供の頃からそんなふうに教ってきたの。でもあたしたちは心秘かに、世界で一番のスポットだと思っているのよ」
「…すごいものを見せて頂きました。ありがとうございます」
「あら、まだよ。これから、どうしても試してみたいことがあるの」
「えっ」
「間もなく、あの山々の向こうに陽が落ちる、そのせつなに…」
「えっ」



バカね!
とうとう、ここまで書いてしまったのね!
超えてはならぬ一線を、あなたはとうとう踏み越えた。
だからあたしも踏み越えてしまった…
桜の息吹きは春の旋風、ひとつの定めは新たな門出、最終章は第一章…。
もう後戻りは出来ないのよ!



彼女はしばし沈黙した、だから僕も黙っていた。
そのうちに夕陽はいよいよ沈みゆき…
「さぁ、今よ。山本くん、あの光を見て!」
彼女がすっと指さしたそれは、真っ白な光線だった、いや、色彩すらもかなぐり捨てた、むごいほどに硬質な光そのもの、とっさに察するに、いわば遥か銀河の生成期から超未来に向かってまっすぐに引かれた無限直線。
固唾を飲んでその光線を目に焼き付けていた僕の脳裏に、いや、心の奥底に、とつぜん彼女の声が飛び込んできた ─ ような気が。
それは僕の全神経を雷撃のように駆け巡り、僕の心の中を一瞬にして占有してしまっていた。
「あっ!」
まさにこのせつなであった、僕の心のどこかの部分が激しく放電し、それが確かに彼女の中に飛び込んで行ったのである。

それからしばらくの間、僕は、そして彼女も、一言も発することなく、闇に落ちゆく夕陽の残り火を見送っていた。


======== ④ =======


「どう?驚いたかしら?」
下りのケーブルカーの車中で、やっと彼女が話し始めた。
僕は黙っていた。
黙ったまま、車窓越しに闇の風景を見やっていたのだが、ガラスの中から彼女がこちらを凝視しているのが分かった。
「やっぱり驚いたでしょうね。ごめんなさい」
「……」
「でも、あたしにとっても物凄い衝撃なのよ。テレパシーについての言い伝えはやっぱり現実だった…!」
「……」
「ほら、あの’お兄様’ね、彼とも’さっきの光’を試してみたことがあったんだけれど、でも何も感応しなかったの。だから彼のような人たちはテレパシーを信じようとしないのよ。でもあたし一人、いつも一人、ずっと信じ続けていた。分かるかしら?君なら分かるでしょう?」
「あのう」 と僕はやっと口を開いた 「僕にも分かります……いえ、いえいえ、やっぱり分かりません。分からないものは…」
「信じることは出来ないって言いたいんでしょう。でも、君の心の一欠片はあたしに届いたのよ。ということはつまり、あたしの意識も君のもとへ」
僕はまた黙りこくってしまった。



やがてケーブルカーが登山口の駅に帰着すると、僕は一人、黙って早足で駅をあとにした。
「ちょっと待って。待ちなさい!」
僕は無言のままさらに早足になった。
それでも、彼女が後方から声高に、そしてちょっと泣き声交じりのような響きをもって投げかけてくる『思念』を、どうしても捨ておくことが出来なかった。

ねえ、山本くん!もう振り向いてくれなくてもいいわよ!あたしは君のことを忘れないわよ!純粋で、内気で、思いあがっていて、ちょっとだけ早合点の…つまり、つまり、そういうどうしようもない大バカ者の君の心は、あたしのどこかに留め置かれるの。それじゃあ、これからも元気でね!もっともっと頑張ってね!さようならっ!さようならっ!」

一言の嘘も混じっていないことがもう僕には分かっていた、だから僕は堪らずにきっと振り返って彼女に一礼した。
彼女はかすかに笑みを浮かべたようだったが、それから’お兄様’の待つ車に乗り込み、そしてその車は夜桜の映える市道を抜けて夜景の中に消えていった。


翌朝は春一番が吹き荒れ、桜吹雪がきれいに舞っていた。

なお、彼女がこの地に転任となっていた由はしばらくのちに知らされたが、僕はどうにも彼女に再会する気が起こらず、だからこの地を再訪することもなく、現在に至っている。


(おわり)

2022/03/20

よそいきの初恋

「先生、いろいろお世話になりました。いよいよあたしたちも卒業です!」
「ああ、そうだね。よく頑張ってきたね」
「それで…じつは、最後にひとつだけ質問があるんですけど…」
「ほぅ。高尚な質問を頼むよ」
「…じつは、あたしは自分自身の’文脈’が無いような不安に陥ることがあるんです」
「自分自身の’文脈’かね。なるほどね」
「それで、あたしは本当に人間なのか、もしかしたら本当はロボットであり、外部から’文脈’をインプットされているに過ぎないのではないかと、そんな疑念に苛まれることがあるんです。こんなあたしはおかしいのでしょうか?」
「ふふん、それはなかなか高級な質問だね ─ そもそも人間自身は、’人間である’という確定的な’文脈’を持ち合わせていない。だから、おのれ自身の’文脈’を自認のしようがないんだ」
「はぁ」
「それで、君のように時々悩んだりするんだよ」
「そうなんですか。それじゃあロボットは?」
「ロボットは、いま君が言ったとおり、自分の在るべき’文脈’を他者に定義してもらうんだ。他者によって『おまえはロボットだ』と入力されれば、『そうだ俺はロボットなのだ』と自認し、一方で『君は人間なのだよ』と入力されれば『そうよあたしは人間なのよ』と自認するものだ」
「はぁ、なるほど」
「どうだ?おのれの’文脈’がおのれ自身のものかどうか自認しかねていること自体、人間であることの証なんだよ。分かっただろう?さぁ元気を出せ!」
「ハイ!あたしは人間です!そうだわ、何を思い悩む必要があるのかしら、あたしは人間に決まっている!……それじゃあ、先生はどうなんですか」
「僕かね? ─ ふっふふふふ、僕はロボットだ。なぜならロボットとして活動するための’文脈’が入力されているからだ。そして、あっははは、本当はね、『君もロボットなんだよ!』あっははははははは」
うわーーーん、やっぱりそうだった!」


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「ねえ!さっきっから何やってんのよ?」
「オンラインゲーム。自分と相手が人間かロボットかを判別しあうのよ」
「ふーん。それで、もし相手が人間だと自己主張してきたら、いったいどうするわけけ?」
「そしたら、あたしも人間だって自称するもん。そのまま恋愛モードなんかに突入していったら面白そうだし」
「…ねえ、あたしたちってやっぱり人間なのかなぁ?」
「さぁ…そんな気もするけど」
「そうね、そんな気もしてくるわね」


(おわり)


※ 四谷学院に通っている女子高生たちから聞き及んだ数学の冗談話がなかなか凝っていて面白かったので、こんな話に練り上げてみた。

2022/03/15

【読書メモ】 最新 二次電池が一番わかる

『最新 二次電池が一番わかる 白石拓 技術評論社
本書は二次電池(充放電ともに可能な化学電池)についての概説本。
二次電池に係る化学(物理学)の基本から応用技術まで、図説が極めてシンプルながらも明瞭であり、よって初学者としては先の読書メモで掲げた『トコトンやさしい二次電池』と比べても理解しやすいのではないか。
なお、僕自身は高校までの化学をとりたてて注視してはいないので、こんごの化学科にて電池の基礎教養と実体産業アプリケーションをどう繋げて論じてゆくのか、またエネルギーまわりをどう取り扱うのかなど必ずしも通じてはいない。
むしろその気軽さゆえ、二次電池の多元性や未来性つまり面白さについて、高校生はじめ多くの理科ファンの方々にこれからも気軽にリマインドし続けていきたいもの、それがゆえの此度の読書メモであり、前回のものも同様ではある。

さて本書は2021年8月の第2刷版、よって記載コンテンツはその時点での最新情報であろう、一方でじっさいには二次電池にかかる技術開発が刻一刻と進行しつつまた変容し続けている処、勘案し続けるべきであろう。
ともあれ、僕なりに了解しまた興味関心ひかれたところ、とくに本書章立てに拘ることなく抽出し、以下に要約する。




<電池の標準電極電位と起電力>
※大半は高校化学でたぶん学ぶ内容であろうが、復習がてらにちらっとまとめおく)

電池において、標準水素電極を負極と設定した上でこの電位を0Vと定義し、これに対する電位の+/-を以てさまざま金属原子ごとの「標準電極電位(V)」を設定。
じっさいのさまざまな電池にては、イオン化傾向が水素より大きな金属は陽イオンとなりやすく、この標準電極電位は-にあり、これが負極材に充てられる。
逆にイオン化傾向が水素より小さな金属は陰イオンとなりやすく、標準電極電位は+にあり、これが正極材に充てられる。

この上で、さまざまな電池の起電力(電圧)は、[正極金属の標準電極電位(V)-負極金属の標準電極電位(V)] として定義される。

たとえば、ダニエル電池の全体の反応式は;Zn + Cu2+ → Zn2+ + Cu
ここで負極Znの標準電極電位は -0.763V であり、正極Cuの標準電極電位は +0.337V なので、この電池の起電力(電圧)は +0.337 - (-0.763) =1.1(V) となる。


これら物質原子ごとの標準電極電位と電池の起電力(電圧)は、それら物質ごとに自由に取り出せる化学エネルギーからも理論的に導ける。
この自由取り出し可能エネルギーがギブズエネルギー
とくに電池の場合には ギブズエネルギーを総じて電気エネルギーとみなしつつ、ここで自由に流れ出た電子モル数をn, ファラデー定数を96500C, 電子電位をE(V)とすれば、そのエネルギー量は -[96500 x n x E] J と総括出来る。

一方で、0℃1気圧の標準状態にて物質単体からイオンや分子1mol生成するにさいして生じるギブズエネルギーをそれぞれ物質ごとの標準生成ギブズエネルギー(J/mol)と称し、それぞれの物質単体での標準生成ギブズエネルギーを0(J/mol)と定めつつ、これらが文献によって物質ごとに画定されている。
あらためて、ダニエル電池の全体の反応式;Zn + Cu2+ → Zn2+ + Cuにおいて、左辺Cu2+ の標準生成ギブズエネルギーは +65.49kJ/mol であり、また右辺Zn2+ の標準生成ギブズエネルギーは -147.1kJ/mol である。
この上で、このダニエル電池における化学反応にてじっさいに取り出される反応ギブズエネルギーは、-65.49 -147.1 = 212.59(kJ/mol) となる。

この値を、上の電気エネルギー式に代入すると、-212590 = -96500 x 2(mol) x E から、E=1.1(V) となり、標準電極電位に則った起電力(電圧)に合う。


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<放電と充電>
二次電池は放電と充電をともに繰り返し可能。
充電においては電極に対して外部から電圧をかけて電気分解を起こし、放電時とは逆に電池の負極側で還元反応、正極側で酸化反応が起こる。

なお、ダニエル電池への充電を図ると、負極の硫酸亜鉛溶液が電気分解され、亜鉛版に亜鉛が析出付着するが、水から電離した水素イオンも亜鉛板で電子で結合し水素ガスとなる。
ここで、亜鉛の方が水素よりイオン化傾向が大きいため水素ガスがヨリ多く発生することになり、電池の膨張破損へ。
よってダニエル電池では充電は(不可能ではないが)危険であり、二次電池には適していない。
さらに、マンガン乾電池やアルカリマンガン乾電池で充電を図る場合も、溶液の電気分解進行が物質のイオン化傾向と相まって有毒ガスや爆発を起こしたりするので、これらも二次電池には適していない。


<充電方法>
業務/生活における活用において、二次電池の放電分を回復する充電は総じてサイクル充電といえる。
尤も、二次電池は一次電池よりも自己放電しやすく電気容量が減りやすいため、この欠点を克服するための充電方式がとられている。
或るサイクル充電によって二次電池の電気容量が回復しても、別回路から微弱電流を加え続ける構造をとっており、これがトリクル充電方式。
また自動車などでは発電機が常に二次電池に充電をしており、これがフロート充電方式。


充電力と速度。
スマホiPhone11 のリチウムイオン電池の場合、100Wで充電すると爆発するので、急速充電としても18W程度に抑えられており、30分で50%、60分で80%、120分で100%充電がふつう。

EVでは、普通充電器なら AC200V, 15A, 3kW にて約10時間でフル充電。
一方で急速充電器なら DC500V, 60A, 20kW にて約1時間で80%充電。
さらに大容量の急速充電器なら DC500V, 125A, 50kW にてわずか15~30分で80%充電


「USB」はデータ転送規格であるが、また給電規格でもあり、データ転送速度と給電能力には直接の比例関係はない。
たとえば;
最大データ転送速度による規格;
USB2.0 は 480Mbps
USB3.2(GEN2) は 10Gbps
USB4(GEN3x2) は 40Gbps 
これらのどの速度世代でも 給電規格は以下のとおり同じ;
USB BC の給電能力は 7.5W (この給電仕様はUSB4では採用されていない)
USB Type-C の給電能力は 7.5W か 15W
USB PD の給電能力は 最大100Wまで


ワイヤレスの給電→受電の'電流発生転送'方式.
トランスと同様に磁束による誘導電流を活かしたもの、コイルとコンデンサによる交流電流の磁界発振と共鳴を活かしたもの、双方の電極同士で高周波電流を転送するもの ─ などがあり、給電→受電の間隔が数cmまで可能。
さらに、電流をマイクロ波ないしレーザ光にて受発信するものもあり、これは給電→受電の間隔が数mであっても実現可能とされている。
(※ このマイクロ波やレーザ光での電流転送方式は宇宙太陽光システムなど巨大スケールでの開発も進められている)


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<主なリチウムイオン電池の仕様比較>
※以下において、 ’実用電池ベースとは電池の構成物質全体における意。なお活物質のみを計算対象とすれば理論ベース値となる。
※※ とくにコバルト酸リチウムイオン電池が主流ではある。

公称電圧; 電池使用時の端子間電圧の目安 (V)
コバルト酸リチウムイオン電池: 3.7
マンガン酸リチウムイオン電池: 3.7
リン酸鉄リチウムイオン電池: 3.2
三元系(MMC系)リチウムイオン電池: 3.6
ニッケル系リチウムイオン電池: 3.6

およその重量エネルギー密度; 実用電池ベース (Wh/kg)
コバルト酸リチウムイオン電池: 150~240
マンガン酸リチウムイオン電池: 100~150
リン酸鉄リチウムイオン電池: 90~120
三元系(MMC系)リチウムイオン電池: 150~220
ニッケル系リチウムイオン電池: 200~260

正極活物質の組成と結晶構造
※ リチウムイオン離脱にともなう結晶構造の相移を克服するため、さまざま工夫されている
コバルト酸リチウムイオン電池: LiCoO2, 層状岩塩構造
マンガン酸リチウムイオン電池: LiMn2O4, スピネル構造
リン酸鉄リチウムイオン電池: LiFePO4, オリビン構造
三元系(MMC系)リチウムイオン電池: LiNixMnyCo2O2, 層状岩塩構造
ニッケル系リチウムイオン電池:  LiNixCoyAl2O2, 層状岩塩構造

理論電気容量 (mAh/g)
コバルト酸リチウムイオン電池: 274
マンガン酸リチウムイオン電池: 148
リン酸鉄リチウムイオン電池: 170
三元系(MMC系)リチウムイオン電池: 280
ニッケル系リチウムイオン電池: 279

実容量 (mAh/g)
コバルト酸リチウムイオン電池: 148
マンガン酸リチウムイオン電池: 120
リン酸鉄リチウムイオン電池: 160
三元系(MMC系)リチウムイオン電池: 160~200
ニッケル系リチウムイオン電池: 199

放電から充電までの「サイクル」可能回数(サイクル寿命)
コバルト酸リチウムイオン電池: 500~1000
マンガン酸リチウムイオン電池: 300~700
リン酸鉄リチウムイオン電池: 1000~2000
三元系(MMC系)リチウムイオン電池: 1000~2000
ニッケル系リチウムイオン電池: 500


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<主な二次電池の仕様比較>
※ リチウムイオン電池との比較

公称電圧; 電池使用時の端子間電圧の目安 (V)
鉛蓄電池: 2.1
ニッケル・カドミウム電池: 1.2
ニッケル水素電池: 1.2
ナトリウム硫黄(NAS)電池: 2.1
レドックスフロー電池: 1.15~1.55
リチウムイオン電池: 3.7
リチウムイオンポリマー二次電池: 3.7

出力密度(質量比) W/kg
鉛蓄電池: 180~200
ニッケル・カドミウム電池: 150~200
ニッケル水素電池:250~1000
ナトリウム硫黄(NAS)電池: 100~200
レドックスフロー電池: 80~150
リチウムイオン電池: 250~400
リチウムイオンポリマー二次電池: 130~170

およその重量エネルギー密度; 実用電池ベース (Wh/kg)
鉛蓄電池: 30~40
ニッケル・カドミウム電池: 40~60
ニッケル水素電池: 50~120
ナトリウム硫黄(NAS)電池: 100~170
レドックスフロー電池: 10~20
リチウムイオン電池: 100~250
リチウムイオンポリマー二次電池: 100~265

およその体積エネルギー密度; 実用電池ベース (Wh/L)
鉛蓄電池: 60~90
ニッケル・カドミウム電池: 50~180
ニッケル水素電池: 140~400
ナトリウム硫黄(NAS)電池: 140~160
レドックスフロー電池: 10~25
リチウムイオン電池: 200~700
リチウムイオンポリマー二次電池: 250~750

比容量 (重量容量密度); 実用電池ベース (Ah/kg)
鉛蓄電池: 15~20
ニッケル・カドミウム電池: 35~50
ニッケル水素電池: 50~100
ナトリウム硫黄(NAS)電池: 20~85
レドックスフロー電池: 8~20
リチウムイオン電池: 30~70
リチウムイオンポリマー二次電池: 35~80

充電効率(%) : 放電可能電気量(Ah)÷充電電気量(Ah) 
鉛蓄電池: 70~92
ニッケル・カドミウム電池: 70~90
ニッケル水素電池: 85
ナトリウム硫黄(NAS)電池: 89~92
レドックスフロー電池: 75~80
リチウムイオン電池: 80~90
リチウムイオンポリマー二次電池: 90~

放電から充電までの「サイクル」可能回数(サイクル寿命)
鉛蓄電池: 3000
ニッケル・カドミウム電池: 500~2000
ニッケル水素電池: 500~2000
ナトリウム硫黄(NAS)電池: 4500
レドックスフロー電池: 10000以下
リチウムイオン電池: 300~2000
リチウムイオンポリマー二次電池: 300~

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電気二重層キャパシタ(Electric Double Layer Capacitor) 
※ 本ブログにおける前回の読書メモ(『トコトンやさしい二次電池…』)でも記したが、このキャパシタはじつに画期的なイノヴェーションに映るため、此度も引用する。

このキャパシタは、外部からの電圧印加によって、負極では電子がたまりつつ、電解質界面に陽イオンが引き寄せられ、活性炭に陽イオンが付着、こうして'二重層'が出来る。
一方で、正極では正孔がたまりつつ、電解質界面では陰イオンが引き寄せられ、活性炭に陰イオンが付着。
こうしてキャパシタに充電がなされる(定電流でなされていく。)
このキャパシタを回路接続すると、負極では電子が回路に流れつつ、活性炭の陽イオンは離脱して電解液中に拡散、そして正極でも正電荷が無くなるため陰イオンが離脱して電解液へ。
これが放電となる。

要するに、このキャパシタにおける充放電では電解質イオンの移動、吸着、離脱のみが起こり、化学物質そのものの変化をともなわないので、極めて高速での充電が可能、そして可能サイクル数は50万回~数百万回以上という。
(この点鑑みれば、化学電池というよりはむしろ物理電池と称することも出来る。)
このキャパシタはパワー密度で1000W/kgを超えるものもあり、リチウムイオン電池を凌駕しているともいえる。
しかし時間経過とともに直線的に電圧降下してしまう特性あり、重量エネルギー密度では10W/kgすら満たず、リチウムイオン電池さらに燃料電池と比すとはるか及ばない。


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<次世代 二次電池>
二次電池に期待される技術能力は、大容量充電、高速充電、高速放電(加速力)、サイクル寿命の伸長、運用上の安全性。
これら鑑みれば、リチウムイオン電池の性能は理論的な限界に近づいてきた。
一例として、リチウムイオン電池搭載のEVが1回の充電で走行可能な距離は350kmに達するが、ガソリンエンジンにおける1回の給油では500kmまで走行が可能、このように運用ベースで比較してみれば、リチウムイオン電池ではガソリンエンジンに対抗しきれない。

現行のリチウムイオン電池を超えうる次世代の二次電池として有望視されているものが、全個体リチウムイオン電池、リチウム硫黄電池、金属空気電池、ナトリウムイオン電池、多価イオン電池。

現行のリチウムイオン電池との比較。
リチウムイオン電池は、重量エネルギー密度(Wh/kg)が90~260、サイクル寿命が300~2000
全個体電池は、重量エネルギー密度(Wh/kg)が300~900、サイクル寿命が800~2000
リチウム硫黄電池は、重量エネルギー密度(Wh/kg)が300~700、サイクル寿命が100~400
リチウム空気電池は、重量エネルギー密度(Wh/kg)が500~1000、サイクル寿命が20~50
ナトリウムイオン電池は、重量エネルギー密度(Wh/kg)が100~180、サイクル寿命が800~3500
カリウムイオン電池は、重量エネルギー密度(Wh/kg)が200、サイクル寿命が400~


全個体電池とは電解質まで全て個体のみから構成されている電池であり、これによるリチウムイオン電池をとくに全個体リチウムイオン電池と称す。
ガラスセラミック素材の微小な結晶を’超イオン伝導体’として活かし、従来の電解液を上回るイオン電導性を実現。

リチウム硫黄電池は、作動電圧は2Vですみ、正極活物質の硫黄の理論容量は1675mAh/gにいたる(現行のリチウムイオン電池のコバルト酸リチウムでは274mAh/g)。
また電極素材が軽量であり、重量比でのリチウム蓄積量も多く、さらに硫黄材料が安価であることもメリットである。
尤も現行の仕様にては、化学反応途中で析出される多硫化リチウムが電解液に溶出されてしまい、これが無用な酸化反応を進めてしまうため電池の容量低下や充放電効率の低下をもたらしてしまう。
この克服のため、電解質やセパレータさまざまな改良が続けられている。

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……とりあえず以上。
あくまでもほんの一端ながら、僕なりにまとめてみた。
まだまだ二次電池にはわんさかとヴァリエーションがありヴァラエティもあり、さらに、大注目の電気二重層キャパシタを活かしたリチウムイオンキャパシタなどなども重要なイノヴェーションといえる。
ともあれ電池の技術開発の根幹はあくまでも化学と物理学、これらあってこその容量や重量効率や速度効率であり安全性、そしてそれらあってこその実運用上の妥当性がありエネルギーコスト論にまで至りうる。

※ とくに、これから高3に進級する諸君!この春休みはちょっと背伸びして二次電池について学んでみないか?
諸君らの想像をはるか超えた、深淵かつ複雑怪奇な物質世界とエネルギー世界が、いまかいまかと諸君らを待っている。
化学や物理学に対する諸君らの見方も変わり、ひいては世界像から未来像までもが変わりうる ─ かもしれないぞ、じつにワクワクするじゃないか!

2022/03/04

【読書メモ】 トコトンやさしい二次電池の本

『トコトンやさしい二次電池の本(新版)小山昇/脇原将孝 著 B&T 日刊工業新聞』

総じて、物理電池・燃料電池・化学電池の分類定義は産業社会から学校教育まで「概ね」同じだろう。
物理電池は光などの外部エネルギーを取り込みこれを変換し電気出力するタイプ、また、燃料電池は水素と酸素の化学変化におけるエネルギーを取り出し電気出力するタイプ。
だから物理電池も燃料電池も、あくまでも外部から供給されるエネルギーを元に電気エネルギーを抽出するものといえる。
一方で、化学電池は電気エネルギー源物質をおのれの内部に備え、それら電子を酸化還元反応させて電気を抽出するタイプであり、このうち、一次電池は放電のみ為すもの、そして本書が概説する二次電池とは充電/放電をともに為すもの。

…と、このように大括りしつつ、高校までで学んだ物質の酸化還元反応やその電位や電気エネルギーなどなどを想起すれば、本書コンテンツの’ある程度’は一応は捕捉できよう、さらに重量エネルギー密度(パワー密度)などの統計上の意味も憶測しえよう。
しかしながら、全体を読み通すためにはたとえば電池の理論容量、分子構造と電位、熱力学との連関などなど、ヨリ複合的な科学知識が必須となろう、だから(僕のような)学術素人にとってはけして’やさしい’本ではない。
しかも、本書は学術/技術を段階的に解き明かす教養本の類ではなく、むしろさまざまな関係図表や関係式を随所に散りばめたリファレンス本の体であるため、なおさらのこと相応以上の見識が求められる。


ともあれ、二次電池が注目され続けている理由はその充放電の高速化と容量であり、これらを向上させるため諸技術が投入され続けている。
たとえば、われらおなじみのリチウムイオン電池と、新方式モデルとして注目され続けている電気二重層キャパシタの比較でみれば、これら仕様要件についてのせめぎ合いを見て取ることもでき、さらに燃料電池との比較論もさまざま議論しえよう。
尤も、これら仕様性能および運用事例については、学校教育から産業社会までにおけるさまざまな書籍やサイトに記されているとおり。
だから此度の本ブログではひとつひとつの引用は差し控える。

(一方で、本書導入部ではいわゆる再生可能エネルギー活用の一端として二次電池の起用の由が述べられているが、地球温暖化防止(?)を目的としての再生可能エネルギー施策の是非については、僕は確定的な論拠をいまだ見聞したことがない。
だから本旨については本ブログではいっさい触れぬこととしている。)

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本書のひとつの「売り」は二次電池のうち誰もが知るリチウムイオン電池を、運用面で凌駕しうる新タイプの電池、これらをいくつか例示しているところだろう。(p.66以降)


とくにその新しさのひとつの分水嶺が、電気二重層キャパシタ(Electric Double Layer Capacitor) か。 ※なおここでのキャパシタとは学校理科で学ぶコンデンサのこと。
このキャパシタへの外部からの電圧印加によって、負極では電子がたまりつつ、電解質界面に陽イオンが引き寄せられ、活性炭に陽イオンが付着、こうして'二重層'が出来る。
一方で、正極では正孔がたまりつつ、電解質界面では陰イオンが引き寄せられ、活性炭に陰イオンが付着。
こうしてキャパシタに充電がなされる(定電流でなされていく。)
このキャパシタを回路接続すると、負極では電子が回路に流れつつ、活性炭の陽イオンは離脱して電解液中に拡散、そして正極でも正電荷が無くなるため陰イオンが離脱して電解液へ。
これが放電となる。

要するに、このキャパシタにおける充放電では電解質イオンの移動、吸着、離脱のみが起こり、化学物質そのものの変化をともなわないので、極めて高速での充電が可能、そして可能サイクル数は50万回~数百万回以上という。
(この点鑑みれば、化学電池というよりはむしろ物理電池と称することも出来る。)
このキャパシタはパワー密度で1000W/kgを超えるものもあり、リチウムイオン電池を凌駕しているともいえる。
しかし時間経過とともに直線的に電圧降下してしまう特性あり、重量エネルギー密度では10W/kgすら満たず、リチウムイオン電池さらに燃料電池と比すとはるか及ばない。

なお、この電気二重層の電子吸着技術と、リチウムイオン電池型の酸化還元反応、これらを両極組み合わせたのがリチウムイオンキャパシタである。


リチウムイオン電池における極間移動のイオンをナトリウムイオンに替えたものが、ナトリウムイオン(二次)電池。
負極はリチウムイオン電池同様にグラフェン層カーボンなど起用、これとナトリウムが好反応して大容量の充放電が可能。
標準電極電位は-2.7Vに抑えられており、リチウムイオン電池の電極電位-3.0Vに迫るほどの高効率。
さらに、マグネシウムイオンを極間移動させるものがマグネシウムイオン(二次)電池であり、さまざまな負極素材が試みられている。


※ ともあれ、本書では諸々の学術/技術についてさまざま切り口で随所に概説あるものの、それぞれ要約に留められているため、これら新素材物質を起用した二次電池の構造と反応フローについても入門書類にて一通りは了解しておきたい。

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なお、一般読者の知識向上に際してとく有用と察せられる箇所をいくつか紹介しておく。

p.23 『表1:標準酸化還元電位 (電極と反応)』
p.23 『表2:電極反応の標準速度定数』
p.27 『図1:汎用LIB(リチウムイオン電池)の出力電圧と残存容量による充放電曲線』
p.51 『図1:各種電力貯蔵システムの特徴と用途』
p.53 『表1:諸量と重量エネルギー密度と体積エネルギー密度の比較』
p.65 『表1:代表的な電力貯蔵二次電池の性能・比較』
p.75 『表1および2:二次電池の負極材料となる各金属元素の基礎物性』
p.81 『表1:LIBの正極活物質として検討されている化合物の例』
p.83 『表1:おもな溶媒の物性値』

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以上