2026/07/24

The Economist 誌について


The Economist 誌については、UK'sを冠したり、あるいは冠詞'The'を略したり、さらに日本語でもエコノミストと称したり誌や紙をつけたりと、どこまでが正式商標でどこまでが略式であるかはよく分からない(どこかで聞かされた気もするが忘れちゃったよ。)

もともと大学時代から東芝在籍時までしばしば目を通してきた、大メディアのひとつではあり、本紙から触発された主題は文理問わず少なからずだ。
ひろく知れ渡るBigMac Index や英米バランスシート差異論はむろん、VAT付加価値税の意義、euro通貨の意義、さらにTCP/IP、暗号数理、電子商取引、ビットコイン、はては光半導体や量子力学基礎まで。

このいわば「学際的な教養力」は本紙の最大のアピールではあろう、だからこそ専門性には却って劣るなどとの批判も根強いようではあるが、統計化の信憑性は高いとの定評もある。
いわば、産業技術における精密さや実践性はともかくも、多元的な情報咀嚼緑や整理力には勝っているとも見做せよう。
よって、僕なりに好意的に解釈するかぎり、さまざまな物事の意義(significanse)の長大な了察にて本紙から得たところは少なくない。

僕自身はもともと言語勘が鈍いのか、幼少期のロンドン時代には総じて読書が苦手ではあり、せっかく親類筋が格調高くかつ皮肉の利いたイギリス英語について本紙筋と


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しかし、30歳を過ぎたあたり、世界の在りようについてあらかた見当がつくようになると、アングロサクソンの巧さと狡さについてもだんだん見当がつくようになった。
例えば ─ 彼らは言語上は頑固な表現を寄越しつつも横目ではこちらの出方をチラチラ盗み見たり、公開入札の従前の個別交渉は出来ぬなどと主張しつつもおまえのところの技術仕様と値段を早う明かせホラホラ早うとさり気なく煽ってきたりだ。
論理は論理、だが実利は別物なんだ、ということか。

もっと鼻につくのが、彼らなりのガチンガチンの序列志向であり、たとえば年功序列などは日本人の悪弊だと言われるがじっさいは彼らの方がキリキリ厳しく、だからこそいったん序列システムから外れた者はあらゆる保険勘定から外されたり、かと思えば企業そのものがドカーンと潰れてしまったりだ。
なんのことはない、カネ貸しの論理じゃないか。
アングロサクソンの全員がカネカネカネの高利貸し根性だとは言わぬが、そういう党派の輩が政治を、つまりカネと多数決を、仕切りやすくなっているような気もする。

ざっとこのように穿ちつつ、あらためて The Economist誌の学際性、悪くいえば上っ面と本性、いわば功罪について考えを進めていきたい昨今ではある。


数理や論理よりも自然と実体を重んじるとされるトランプ大統領やプーチン大統領などは、なるほど現代の欧米世界では例外かもしれぬ。
そのトランプやプーチンと仲間たちにとって、The Economist誌などはどのように映っているのだろうか。


※ なお早稲田大学の文系学部入試では、ずいぶん以前より、The Economist誌から引用の読解課題がじつに多いのだが、これは学際性を期待してのことか、他に真意があるのか、ちょっと関心がある。



以上