2022/12/28

【読書メモ】 因果推論の科学

 因果推論の科学 ジューディア・パール  /  ダナ・マッケンジー    文藝春秋

本書原書版の英文タイトルは "The Book of Why - The New Science of Cause and Effect” であり、これだけ一瞥すると既存の視座や思考枠を打ち破る新たな科学哲学の紹介本のごとくに映らなくもない。
しかし、巻頭部から前半部まで僕なりにざっと一瞥したかぎりでは、本書の主幹メッセージはぐっとテクニカルなコンピュータ論ではないかと察せられる。
大雑把に捉えれば、たぶんこういうものだ;
  • まず、人間自身が想起するさまざまな命題を、さまざまな「因果'有り/無し'の選択経路ダイヤグラム」として人間自身が作成する。
  • これらさまざまな「因果のダイヤグラム」を、本著者が開発した由の「数理フレキシビリティの高い記号言語」にて表現する。
  • そしてこれら「記号言語」を以て、コンピュータ(AI)に学習させる。
  • かかる試みをとことん精密に続けていけば、コンピュータ(AI)は「当初の因果経路における'人間なりの真意'」をほぼそのとおりの確率で正鵠に推論出来るようになるであろう…

もとより本書は論旨がしばしば学際的かつ多元的な一方で,、図説は控えめにおかれており、このため「因果ダイヤグラム」と「記号言語」と「コンピュータ(AI)」に亘るシステムコンフィギュレーションもオペレーティング環境要件も具体像を絞り込み難い。
よって、上にまとめたステップはあくまでも僕なりに思案を重ねつつ想像力もそこそこ動員してまとめたものにすぎぬ ─ が、とりあえずはこれらに則りつつ読み進めてみた。

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総じて、本書には了察しやすい側面と了察し難い側面があるように見受けられる。
そこで此度の【読書メモ】としては、これらそれぞれを評しつつまとめおこう。


まず了察しやすい側面としては、本著者が考案開発した由の「記号言語」の優位性をおそらくは本書ほぼ全編に亘って推しているところである。
この「記号言語」は確率論に則りつつも、従来の’固定的な’確率数理には留まらず、そもそもの「因果ダイヤグラム」の自由自在な「介入的」改編に即応して確率計算をダイナミックに遂行できる数理言語 ─ とされている。

ごく単純な例として;
或る薬'D’がその服用者の寿命'L'に与える影響の「因果ダイヤグラム」があるとする。
これを確率'P'のみに則った「記号言語」で表す場合、従来の条件的確率の発想ならば 'P(L|D)' と表現するに留まる。
一方で、「因果ダイヤグラム」にてさまざま随時の経路'介入を許容するならば、その'介入'のための'do演算子'を加えた「記号言語」として、
 'P(L|do(D))' および  'P(L|do(not-D))'  と比較対象化が出来る。

この 'do演算子'付きの「記号言語」をさまざま複合させ、これらをコンピュータ(AI)に入力することによって、当初の人間による命題の精密な因果関係のみをコンピュータ(AI)にとことん確率計算させることが出来、もともとそこに含めおかなかった無関係因子や交絡因子はきちんと排除させることが出来る。
あわせて、起こりえない事実を反証的に炙り出し排除させることも出来よう
(本著者はこれらの進展を「因果のはしご上り」とも比喩されており、またひとつのトライアルとして「ミニ・チューリングテスト」に敵うだけのコンピュータ(AI)モデル実現を追求されてもいる。)
そして、これまで広く導入されてきたベイジアンネットワークは、ここまでは至っていない ─ とのこと。

如何であろうか?
どどんと560頁から構成させている分厚い本書ではあるが、その主たるメッセージが上のとおりであるとすれば、近現代におけるじつにさまざまな因果推論の論理とその限界を随所に指摘する啓蒙の書として総括出来なくもない。
とりわけ、従来型のいわゆる計量経済学などなどについて、どこまで受け入れつつどこまで疑義を呈しているものか…
また、そもそもコンピュータ(AI)は再現性を回帰分析する特性に秀でたマシンではあるが、もしも再現性を排除するような’ひねくれた’推論を次々と呈するようになったら、コンピュータたる存在意義をどう捉えればよいのか…?

それらひとつひとつを僕なりに咀嚼し要約して本ブログに記すとおそろしい分量になってしまい、見当はずれの投稿も増えてしまうかもしれぬので、此度はこのような総論に留めおくこととする。


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さて一方で、本書にて了察し難い側面もざっと指摘…。
そもそも数学論やICT論の分野にて多く散見されることであるが、人間とコンピュータの相対化および対峙を前提とした論旨が進んでいるためか「…が」「…を」「…に」といった助詞類の論理ががかなりウヤムヤに映ってしまっているところ、指摘しておきたい。
とりわけ分かり難いタームのひとつは「観察」であろう、何が(誰が)何を観察しているのか、人為なのかコンピュータなのかプログラムなのか…どうにも僕は未だに把握し損ねている。

もとより、数学とコンピュータ関連の作家世界では「…が」や「…に」の論理峻別が無用なのであろうか、そんなもんどうでもええやないかってことか ─ となると、(たとえ日本語より論理の厳正な)英文原書においてもやはり何が何を何やっているのか読解は難しいのかもしれぬ。
結局は読者の素養と見識次第ではあろう。


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ともあれ、素養も見識もたいして持ち合わせぬ僕なりに、あくまでほんの巻頭部の一端を垣間見ただけでも、さまざまなパースペクティヴと着想をぐるぐる触発され、なかなかチャレンジングな一冊とはなった。
同じ理由から、大して素養も見識も持ち合わせていないであろう大学受験生などにとっても、本書におけるエキサイティングな論題論説の数々は英文読解の課題として面白い、かもしれぬ。
(じっさい、そのうちに慶應SFCや早稲田理工あたりの入試英文にて出題されたりして。)


以上

2022/12/17

初恋オフサイド




高校時代のことである。
或るSF誌に投稿するつもりで、僕は『待ち伏せデート』という学園ラヴストーリーを考案し、おのれなりに筆をふるってこれを書き進めていた。
ここには、僕なりの基本的な世界像があった。
それは ー 世界のほとんどは雑多な虚構の立体交差ばかり、しかしながら、ところどころに’真実の系’も貫かれている…というもの。
貧しい世界観だと笑わば笑え、この世界像については今もほぼ変わるところがない。

しかし、この『待ち伏せデート』を書き上げるには至らなかった。
クラスメート女子のN子が割り込んできたためである。


このN子についてざっと記しておこう。

N子はお互い母親の代からずっと馴染み同士に在った因縁の娘。
馴染みのかかわりとはいえ、N子の家柄は我が家よりもずっと名家、よって何不自由の無い学生生活を悠然と送っていること、いつでも見て取れた。
そしてN子自身が何事にてもじつに利発で活発な娘であり、陸上でも水中でもさまざま都下の記録に拮抗するほどのスポーツ万能。
おまけに数年間のニューヨーク滞在経験もあり、いまや僕の眼前に迫りくるほどの生意気な高身長、そして僕の遥か上空をいく英語自慢でもあった。
何よりも悔しいことに、N子は宝塚然としてクッキリ映えるほどのとびっきりの’美少女(美人)’でもあること、僕はどうしても認めざるをえなかったのである。

現実においてこれほどまでに充足しているN子のこと、相応の世界観もかなり楽観的かつ強固ではあった。
それすなわち ─ 世界のほとんどは揺るぎなき真理の大系であるはずだが、どこかに’虚構’が残存し続けており、それらがところどころ不条理をもたらしている…というもの。


え?なになに?クラスメートの美少女?
どうせ今回はつまらない自慢話がつらつらと続くんだろうって?
さぁて、つまらないかどうか、とりあえずは付き合いなさいよ。
すでに本稿はセットアップがほぼ完了しているのだから。


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さて、某SF誌に投稿図っていた『待ち伏せデート』についてである。
その日の午後、休憩時間に教室内でそっと読み返している僕の眼前に、N子がぐいっと顔を覗かせてきた。
「ダメねぇ、ダメ、ダメ」
N子は鷹揚にかぶりをふりつつ、小鳥のような狡そうな眼をつくって僕をきゅっと一瞥、そして我が『待ち伏せデート』をすっと摘まみ上げると机にパーンと叩きつけたのだった。
「ぜーーんぜん、ダメよ。あんたはこーーーんな低劣な話しか書けないのね」
「低劣とは、なんだ!?何が低劣なんだ!?」 と僕は気色ばんでいた。
「世界観が低劣なのよ。な~に、このアブストラクトは?虚構ばかりのこの世界に一筋の真実を切望しつつ、僕は彼女を待ち伏せデート、ですって?ふっふふふ、バッカみたい。世界のどこが虚構ばっかりなのよ?あんたの発想は根本的に貧しいのよ。ねえ、こんなもの本気で投稿するつもり?恥っさらしもいいところだわ。やっぱり、あたしが居ないとね~」
「ほぅ、そうかい?」 僕は憤然と立ち上がった。
「それじゃあ、おまえは俺よりもずーーっとマシな世界像を描けるっていうのか?」
「フン、あんたのよりもずーーーっとマシなものを書いてきてあげるわよ。この世界を大いに賛美する知性と洒落っ気の掌編。明日まで待ってなさい、いいわね!」
「そうか、よし待ってやる。もしも気に入ったら投稿作品として採用してやってもいいぞ。たぶんそうはならないだろうけど」
「ふふふふっ、どうせ全部あたしのアイデアになっちゃうんだけど」



翌日になった。
N子は『ガラスの合鍵』というタイトルの掌編を小脇に抱えつつ、僕の前に立ちはだかった。
「さぁ、昨日の予告通り書いてきてあげたわよ。この素晴らしき世界において’僅かに残存する虚構’を、宿命の恋人たちが正していくっていう、ちょっとスリリングな恋愛ストーリーなの。あんたの駄作なんかほとんど吹き飛んでしまったわ。ふふふふっ」
僕はその『ガラスの合鍵』を無言でひったくると、アブストラクト部をざっと黙読した。
それからバーーンと机に叩きつけた。

「ダメだっ、ぜんっぜん、ダメだっ!世界観が根本的になっとらんっ」
「何するのよっ、ちゃんと読みなさいよっ」
「読む意義は無い。なにが’僅かに残存する虚構’だ?世界は’虚構だらけ’なんだよ!」
「へぇ?なんですって?」
「いいか、じっさいのところ、世界いたるところで情報と実体はいつも食い違っているし、カネはもっと食い違っていて、もう虚構ばっかりだ。それで仕方がないから物価も株価も予算案もかたっぱしから多数決任せじゃないか」
「フーーン、おかしなこと言うのねぇ。そもそも多数決は世の中の’ちょっとした虚構’を炙り出すための手段でしょう?ふふふふっ、あんたは発想が貧しすぎるのね。だから世界が虚構だらけに映ってしまうんだわ」
「おまえの世界観こそ俗物だ、スノッブだ、どうせ、エリートのパパとインテリのママと…」
「はぁ?スノッブとは聞き捨てならないわね。模試の英語で半分も得点出来なかったバカのくせに偉そうな英単語を使うんじゃないわよ!」
「どうしてそんなこと知っている?!ははーん、ご自慢のママに聞いたんだな」
「そうよ、あんたのことは何でもかんでも、お母さまからうちのママ経由であたしの耳に入ってくるの。子供のころから、な~んでも、か~んでも。ふっふふふふふふふ。ねぇ、おバカさん、隠し事は出来ないわね~。世界はほとんど完全無欠な真理で出来ているのよ」

「黙れ!」 と僕はまた声を張り上げていた。
「何を言おうと俺の信念は揺るがないぞ。いいか、明日まで待っていろ。俺流の話をきちんと仕上げてやる。おまえはもう出しゃばるな、わがまま娘が」
「そう?そんなに言うなら、もっと楽しいお話を楽しみに待っているわよ。真実味のあるお話をね」



さらに翌日になった。
僕は『恋の連立方程式』という掌編を小脇にかかえつつ、N子に声をかけた。
「さぁ、本格的な恋愛SFものを書き上げたぞ。さまざまな虚構がいたるところ交錯するこの世界において、愛し合う二人だけは常にお互いの真実を交信しあうという、ちょっとせつない恋愛テレパシーだ」
N子はといえば、猫のような狡猾な仕草で鼻面を近づけてきて、我が『恋の連立方程式』をひったくり、初めから大きくアクビしたり、紙面を指でパシンパシンと弾いてみたり ─ そしてこれをピシーーンと机に叩きつけたのだった。
「おいっ!」
「なにかしら」
「ちゃんと読めよ!」
「なにを?ん?なにを読めっていうの?まさか、これのこと?『恋の連立方程式』ですって?数学の偏差値が45のくせに、な~にが連立方程式よ?だいいち、あんたの貧しい世界観からすれば、連立方程式に乗っからない虚構が多元的になるばっかりじゃないの?」
「……」
「あーあ、やーっぱり、あんたはあたしが居ないとダメね。もう今回の投稿小説はすべてあたしに任せなさいよ。あたしがブレインで、あんたはあくまでも協力者。ほらっ、返事は?」



さらにその翌日。
N子は『ファーストクラスの十字軍』と銘打った掌編を書き上げてきた。
もちろん僕はこのアブストラクトすらろくすっぽ読みもせずに机にバーーーンと叩きつけ、何すんのよちゃんと読みなさいよっ、いーや読む必要は無いんだどうせおまえの贅沢三昧な夢物語はろくな創意工夫もないんだ、そんなことはないわよっあんたよりはずっと崇高で高尚なお話なのよっ…といった口論に終始。


こうして、僕もN子もこれといった着想上の閃きも無きまま、件のSF誌の投稿締め切り日は刻一刻と迫りくるのであった。



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ちょうど同じ時節のこと。
ひとりの女性音楽教師がわが校に転任してきた。
S子先生である。
S子先生は作曲から楽曲演奏まで常にトップレベルの天才肌、都下はもとより近隣県にまで美名を轟かすほどの超然タイプ、さらに数学の才にも傑出しており ─ だからもちろん美貌の女性に決まっている。
ここいらは他の掌編にて描写のとおり、だからあらためて賞賛の言を重ねるには及ぶまい、しかし此度の物語の展開上、S子先生についてとりわけ留意しておかなければならぬことがある。
S子先生は魔法使い ─ そう噂されていた。


もとよりS子先生は傑出したピアノ奏者ゆえ、我が校の有望な生徒たち数名のピアノ特訓コーチングにあたることになった。
そして、問題のN子である。
N子もまた、S子先生による技能評価に見事適って、特訓受講生の一人に収まっていたのだった。



そんな或る日、放課後のこと。
N子がピアノ特訓受講のため音楽室のS子先生を訪れるにあたり、僕も冷やかし半分のつもりで同道したのだった。
ふとN子が問いかけた。
「先生、この世界にはどうして’虚構’が残存し続けているんでしょうか?」
ここでS子先生はちょっと驚いた風ではあったが、しばらく思案すると、あらためてこちらを向き直り、僕らの顔を交互に見据えつつ語り始めた。
「今からあたしが話す内容は、ちょっと突飛に聞こえるかもしれないけれど、二人とも覚悟して聞きなさい」
「は、はい」
「もとも人類には何か決定的な宿命が備わっているのよ。だけどそれらのさだめを一度に実現してしまうと燃え尽きてしてしまうの
「はぁ…?」
「それで、絶滅を回避するために、人類は敢えて様々な虚構を考案して、遠回りのバイパスを増やしてきた…と、まあ、こんなふうに考えることも出来るわけ」
「……」
「ねえ、あなたたちはいわゆる心身二元論を知っているかしら?」
「……フロイトみたいなやつですか?」
「デカルトよ。それじゃあゼウスとプロメテウスの神話は?」
「それはまあ、なんとなく知っています」
「よろしい。それで、その神話の伝承をピアノ曲にすると ─ 」 S子先生はとつぜんピアノの鍵盤を流麗に弾き始めた。
それはごく短い小節ではあったが、なんとも奇妙に転調が絡み合ったリプライズ。
「…こんなふうになるの。ねえ、不思議な曲でしょう?人間に備わったさだめを遂行させようとする『プロメテウスの真実』、それを懸命に抑制しようとする『ゼウスの虚構、これら両者が入り混じった曲
「……」 僕たちはドキリと仰天し、そして感嘆するしかなかった。
「これは言わば魔曲なのよ。だから面白半分に弾いてはいけないわ ── さぁ!お話はこのへんでお終いにして、N子さんのレッスンを始めましょう」



ここで僕はN子を見やった、そしてN子も僕を見つめていた。
いままさに聞かされた魔曲によって、僕とN子はほぼ同時に、例のSF投稿にふさわしいとてつもないインスピレーションに激しく突き動かされていたのであった。
それつまり ─ もしもこの曲からゼウスによる虚構』のパートを排除し、『プロメテウスの真実』のみを奏でると、いったい何が起こるだろうか

さすがに、ピアノ演奏にても並外れた技量を有するN子である。
S子先生のレッスンを受けつつも、このゼウスとプロメテウスの魔曲を如才なく記憶してしまったのだった。
となると、いよいよ僕たちが試みるべきことは明らかだ。



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翌日の放課後。
すでに陽が傾きかけた夕刻時である。
N子が僕の脇腹を小突いた。
「出来たわよ」
「何が?」
「ゼウスとプロメテウスの分離」
「なんだとっ?本当か?!」
「ずっと考え続けてたんだけど、ついに成功したの」
ノートの最終ページに書き殴った楽譜を、N子は僕の眼前につきつけた。
「これが…これがそうなのか…?」
「譜面と音符から計算すればこうなるはずよ」
「それじゃあ…それじゃあ『プロメテウスの真実』のパートは?」
「このとおり」
「へぇ…!」
「さぁ、どうするの?『プロメテウスの真実』、弾いてみる?それとも、怖いからやめておく?」
「やめられるかっ」
僕とN子は駆け出した。

誰もいない音楽室、N子が巧みに開錠し、僕たちはこっそりと忍び込む。
S子先生のピアノがあった。
「よし、弾いてみろ」
「でも…あたしひとりだけだと、なんだか不安だわ」
「おまえだって本当は怖いんじゃないか」
「じゃあ一緒に」
僕たちは肩を寄せ合った、そして、N子はついに演奏を始めた……



バーーーーーーン!!



気がつけば、僕とN子の前に真っ白なピアノが在った。
そのピアノ越しに周囲をぐるり見回して、僕たちは唖然とした。
見渡す限り、遥か巨大な地平線ばかり。
まさに地平線のみが広がっていた。
そして地平線の向こうには、いままさに沈まんとする太陽が、狂った溶鉱炉のように真っ赤に燃え盛っている。

あっ、と、僕もN子も同時に悟っていた ─ ああここが、これこそが、あらゆる虚飾と虚構をかなぐり捨てた真実のみの世界!
プロメテウスが実現してくれた世界!
「おまえが信じてきた、完全無欠の世界ってことだ」
「あんたが信じることが出来なかった世界ともいえるわね」
N子が悪戯っぽい声を挙げた。
僕はN子の顔をあらためて見やった、いや、N子こそが僕の顔をまじまじと除きこんでいた。
僕は照れ隠しに声を弾ませていた。
「おい、絶対にこのピアノから離れるなよ」
「どうして?」
「どうしてって…おまえの大嫌いな虚構の世界に戻れなくなったら困るから」
あたしは困らないわよ。あんたの大好きな虚構の世界に戻れなくても」
クスクスとN子は笑い声をあげた。
「あんたこそ、あたしから離れたらダメよ、あんたにはいつもあたしが必要なの」
「そうかね。まるで俺は獣だな」
「いいじゃないの。あたしだってあんたと同じくらい赤裸々なケダモノなんだから」
「…そういわれてみれば、おまえの顔はなんとなく動物みたいだな」
「あんたも動物みたい、だからいいもん」

まるで核融合の掟を引きちぎったかのように、太陽はいよいよ猛烈に燃え続け、そしてあっという間に地平線の彼方に沈みゆく。
…と思えば、いまや満天の星空が遥かぐるりと広がっている。

ピアノの足元で、僕たちは寄り添っていた。
てのひら越しにN子の温もりが伝わってくる。
肩越しには鼓動も呼吸も伝わってくる。
ピアノの鍵盤を見やれば、白鍵と黒鍵が星々の光にきらりきらりと撥ね続けている。
僕は立ち上がって、星空をぐるりと見渡した。
「見ろよ、たくさんの星座群がすごい速度で移動していく」
N子もついと顔を挙げ、それから楽しそうにつぶやいた。
「まるで、あたしたちはアダムとイヴみたいね」
「アダムとイヴか。最初の?それとも最後の?」
「さぁ…どちらも同じ存在だったのかもしれないわね」

ほどなくすると、もう地平線の彼方が白々と明けてきて、新たな太陽が昇り始めていた。
真っ白なピアノが輝き始める。
とつぜん、そのピアノの中から叫び声が響き渡ってきた。


「あなたたち、そこに留まっていてはいけない!
二人とも急速に燃え尽きてしまう!
すぐに戻ってきなさい!
N子さん、『ゼウスの虚構』のパートよ、分かっているんでしょう。
さぁ、弾きなさい!」


あっ。
S子先生だ。
僕たちはすっくと立ちあがって顔を見合わせた。
「S子先生が呼んでいる。さぁ戻ろう、元の世界へ」
N子はしばし逡巡の表情を浮かべていたが、それから観念したように鍵盤を弾き始め、幾度かの打鍵し損じののちに『ゼウスの虚構』を弾きぬけたのであった。

こうして僕もN子もこの’虚構’の世界に回帰したのである。


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以上で、此度の不思議な話はお終いだ。
件のSF誌への投稿は、この話を大本に仕上げたものとなり、僕なりには大いに満足ゆくものとなった。

だが、共著者たるN子については最後のさいごまで困ったもの
完全無欠な真実を放棄して虚構まみれの世界を選んだ貧しい男の話なんか面白いわけがないわよ、といった趣旨の難癖をぶっつけ続けてくるのであった。
さらに、S子先生についてちょっとでも華麗な描写を試みると、何が不愉快なのか判らぬがN子は猛然と噛みついてくる。
「あ~っ、分かった!あんたはS子先生が好きなのね、好き、好き、だ~い好き、ねえ、言ってみなさいよ、S子先生、好きです、すっごく好きです、好き好き好きって。ほらっ!S子先生とまっすぐに向かい合って告白して差し上げなさいよっ」
「そんな無礼な真似が出来るか、ばか」
「へ~ぇ?ばか?ばかは誰なの?バカに馬鹿呼ばわりされたくないわね。あんたさ~、世の中を穿ってばかりの貧しい男のくせに、生意気よ。S子先生に憧れるなんて、なまいき!」

こんなだから、さすがに僕もN子にはちょっと辟易し、だから僕なりに確定していた本作のタイトル『初恋オフサイド』は投稿当日まで彼女には秘密に伏せおいたのであった。



<おわり>

2022/12/03

【読書メモ】 宇宙人と出会う前に読む本

宇宙人と出会う前に読む本 高木祐一・著   講談社Blue Backs

本書を手にしたきっかけは、高校生向けに’やや背伸びしたレベル’の科学新書本を探していた矢先のこと。
たまたま前段部における天体の「質量」とその「重力」とその構成物質との因果にかかる概説箇所を見やれば、「質量が大きな天体ほど重力も大きいため速く燃焼しきって死んでしまう」と概説されており、まずはここに惹きつけられた。
なるほど、かかる根元まで着想レベルを落とし込みつつの運動力学とエネルギー論か、これこそ物理学コンセプトへのトータルアプローチたりえよう、と僕なりに少なからず感じ入り…それで本書を買っちゃったわけ。

質量「論」はさておくとしても、とりあえず本書の第4章をサッと一瞥すれば「宇宙を構成する4つの力…」とあり、それではこのあたりからと見当をつけて読み進めてみた。
尤も新書本ゆえの構成上の制限からか、第4章にせよ続く第5章にせよ要約的な文面が続いており、図説はむしろ控え目に留められているように見受けられる。
もちろん、物理学に通じた読者であれば図説抜きでも本書は速読了察しえよう。
しかしながら僕のような一般読者としては、例えば素粒子(実在)と力(体現)とエネルギー(仕事)についての次元了解、'理論' と 'アイデア' の具象度合い、とりわけ ’~~に対応する’ と ’~~で出来ている' などにおける表意上の差異と物理上の同義性(?)につき、丁寧に洞察しつつ本書を読み進めたい。
同じ理由から、一般の高校生などにとってはけして生易しい本とは言えないが、それでも文面そのものは平易なのだから想像力をもフル動員しつつチャレンジさせてみたい一冊である。

なお本書一流の着想として、「宇宙の万物が互いに相対かつ客体である以上は、我ら地球人類のみの認知や知性に絶対の視座を据えるべきではない」 との念からであろうか、我々自身の実在の’相対化’に敢えて準じた上で異星人たちと物理論を交信しあう由の論旨文脈が徹底して貫かれており、この野心的なほどの思考設定がじつに面白い。
そして本書のサブタイトルはズバリ、『全宇宙で共通の教養である。
(なお、その教養チェックテストも巻末に呈されており、これは高校理科の再復習から発展学習まで楽しめよう。)

とりあえず、本書の第4章~第5章について僕なりに要約した読書メモを以下のとおり記す。



<4つの力、量子重力理論>

人類が現時点で認識可能なあらゆる物理現象は「4つの’力'」のいずれかの作用によるものと解釈出来る。
それら4つの力とは(高校物理の教科書にもあるように)、電子や光子の素粒子同士において働く「電磁気力」、物質の最小素粒子の間にて働く「強い力」、原子核崩壊のさいに素粒子同士にて働く「弱い力」、そして「重力」
それぞれ、総括的に表現しきった数式が在る(本書p.101に列記あり)

これら「電磁気力」、「強い力」、および「弱い力」のそれぞれにて、おのおの力が働く物質を’作る'『フェルミオン』型の粒子と、それら力を'伝える'『ボソン』型の粒子が定義されており、数式として明瞭に記されている。
「電磁気力」においては、電荷をもつフェルミオン粒子と、光子のボソン粒子。
「強い力」においては、クォークのフェルミオン粒子と、グルーオンのボソン粒子。
「弱い力」においては、クォークやニュートリノや電子などのフェルミオン粒子と、それらに対応したボソン粒子。

しかし「重力」は、いまだに人類が正体を定義しきっておらず、『フェルミオン』粒子と『ボソン』粒子の定義も無い。

「3つの力」と「重力」を統一すべき力の理論が「量子重力理論」。
量子重力理論を確立するためには、最低でも以下を明らかにしなければならない。
(1) 重力の大きさが他の力と比べて極小である理由。
(2) 量子力学における重力の働き(他の力と同様にフェルミオン粒子とボソン粒子に分けて記す)

電磁気力はボソン粒子に質量が無いので光速度で伝わるが、じつは重力も同様にボソン粒子すなわち『重力子』に質量が無いからこそ(アインシュタインの通り)光速度で伝わる…と見做され、「量子重力理論」の確立とされた ─ こともある。
尤も、電磁気力のボソン粒子は大きさゼロの量子性(離散性)が数学的に説明され、だから光速度であると了解されている一方で、『重力子』は同等の説明にはいまだ至っておらず、よって「量子重力理論」の確立には不十分である。


「量子重力理論」を確立させうる有力な候補理論としては、「超弦理論」と「ループ量子重力理論」がある。

「超弦理論」にては、すべての粒子は大きさの有る「開いた弦」と「閉じた弦」から成っているとし、このうち「開いた弦」には重力以外の3つの力が対応し、「閉じた弦」に『重力子』が対応している ─ ことになっている。
そして「超弦」として、さまざまなフェルミオン粒子とボソン粒子が交換可能な’超対称性'を成していると。
この超対称性を実証すべく陽子の衝突実験などが図られてはいるが、ヨリ実際的には少なくとも100TeVのエネルギーを加える必要があるとされ、とてもここまでは実践に至っていない。

一方の「ループ量子重力理論」にては、あくまでも重力の量子(離散)表現のみを目指し、重力の実体は「時空」という離散的な粒子で出来ている、とする。


「量子力学理論」の確立のために
(1) 他の力と比べて重力が遥かに小さな理由として、「超弦理論」は弦と粒子の大小を以て説明しているともいえるが、一方で「ループ量子重力理論」はこの力の大小について説明していない。
(2) 量子力学としての重力の働きを明らかにすることは、重力の塊でありかつ量子の塊とも見なせる「ブラックホール」の理解そのものでもある。
とくに「ブラックホール」の「中心特異点におけるエネルギーの無限大発散」まで説明してこそ、はじめて「量子重力理論」のひとつの確立ということになろう。


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<ダークエネルギー、状態方程式、宇宙定数Λ>

我々人類が現時点までこの宇宙にて観察可能なすべての物質は、いわゆるバリオン元素物質と定義されている。
これらバリオン物質はあまねく’フェルミオン粒子によって’作られている’が、しかしながら宇宙全体のスケールで捉えれば、このフェルミオン粒子によって作られている物質はわずかでしかない。
宇宙全体での構成物質内訳は;
(光と反応しない)ダークエネルギーが 約69%
(光と反応しない)ダークマターが 約26%
フェルミオン粒子で’作られている’バリオン元素が 約4.8%
光が 約0.0055%

これら物質の属性判別に用いられるが、それぞれ圧力P/密度ρの比(w)で表現する「状態方程式」
これによると、光は w=1/3、ダークマターは w=0、バリオン元素も w=0 だが、ダークエネルギーは w=-1である。
この状態方程式と含め合わせて論拠に据えられる数値が、アインシュタイン考案の「宇宙定数Λ」である。
この「宇宙定数Λ」によってこそ、宇宙を成すさまざま物質間のエネルギーにも拘わらず、むしろ超新星爆発が確認されつつ宇宙が加速膨張続けている由が説明される。

状態方程式に則れば、宇宙の膨張と体積拡大にともなってダークマターもバリオン元素も光も密度ρは小さくなっていくが、ークエネルギーだけは宇宙定数Λに応じて密度不変を保っている ─ ことになっている。
よって、このまま時間が経過し続ければいずれは全宇宙物質がダークエネルギーに占められてしまうことに


あらためて宇宙の歴史を想定すれば;
まず光ばかりの年月が約5万年、この量が宇宙の加速膨張にあわせてどんどん希少になってゆき、続いてバリオン元素とダークマターが占めた年月が約100憶年。
さらに宇宙の加速膨張が進んで、今から約40憶年前ごろからダークエネルギーの量が圧倒的に増えてきたことになる。

とはいえ、ダークエネルギーとダークマターとバリオン元素のエネルギー密度を全宇宙スケールにて計算した「宇宙臨界密度」はとてつもなく小さくなってしまう。
ゆえにダークエネルギーは膨大に蓄積された真空エネルギー(?)である ─ とする見方もある。

あらためて「量子重力理論」に則りつつ、想定された真空エネルギーにおける「4つの力」を計算すると、それらの力の合算は現在確認されているダークエネルギー総量の10120倍にもなってしまう。
ダークエネルギーと真空エネルギーにおいて力の合算がこれほど不一致になってしまうのは、宇宙定数Λによる真空エネルギーの想定が巨大すぎるためではないか、との見方もあるが、完全な説明理論はいまだ呈されていない。


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以上までが本書の第4章~第5章についての簡易な要約のつもりである。
ほかにも、同箇所にてはたとえばアインシュタインの一般相対性理論における「重力方程式」、宇宙あまねく時空の歪み運動を’暫定的に設定した物理量’「R」 ─ などなど、広範かつ立体的な学説紹介がふんだん。

ともかくもこれほどの巨視的な宇宙論、コンパクトな新書本ながらもギッシリと高密度な主題の数々となると、本当に学際的でエキサイティングな宇宙人との知的邂逅(?)の下準備はむしろ本書中盤以降から始まるのではと期待させるほど。
社会人はむろん、大学生さらに小生意気な高校生にもチャレンジ薦めたい一冊ではある。

以上