此度の主題は若年層(とくに未成年)に対する教育である。
東芝在籍時から僕なりにずっと抱き続けてきた信念であり、今も変わらない。
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まず、人間の性分を以下の①と②に大別する。
① 実体と量(掛け算と足し算)のタイプ
こちらは、位置エネルギーが高く、文脈エントロピーはまだまだ小さい、つまり若くてワイルドで夢一杯の人間である。
自然物の動的/アナログ量に挑み、どかんどかんと変えつつ、もっとどっかんどっかんと繋ぎ合わせてゆく連中である。
新規のワイルドな心身鍛錬、新規の想像と創造、新規の素材の組み合わせ、新規の製品開発と市場開拓、新規売上と市場の拡大 ─ を図る人たちである。
発想そのものが理系型である。
なるほどタイミング次第ではインフレもデフレももたらしやすいが、産業と市場の大拡大をももたらす。
聞き及ぶ範囲では、戦前~戦中の日本人の多くはこのタイプであったようだ。
トランプと仲間たちもこういうアメリカを復活させようとしている。
たぶんロシアもだ。
② 論理と数(割り算と引き算)のタイプ
こちらは、既に位置エネルギーは低く、文脈エントロピーがかちんかちんに肥大化し固まっている、つまりジジイのこった。
物質量そのものではなく、論理/デジタルの数、通貨換算上の価値と権利を(そして通貨そのものを)奪い合い削り取っていく連中である。
既存の産業や市場に便乗し介入して、産品や製品を潰してでも利益を啄んで溜め込んでゆくやつらである。
発想方式は非理系である(文系とも称す)。
リストラとデフレと詐欺をずーっと継続しやすい。
聞き及ぶ範囲では、戦後の日本人にこういう連中が増えてしまい、せっかくの産業拡大や市場拡大を食いつぶしているようだ。
なにしろ物質量ではなく論理数の勝負を続けるため、議会と政党とカネ貸しと証券と保険と広告とメディアなどなどに多く、もちろん富の収奪も独裁政権も起こりやすい。
①と②は補完的に協力しあえば素晴らしいのだが、おそらくは①が盛り上がってくると②が出張ってきて、居座って、かっさらっていく。
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さてそれでは、未成年たちに伝えるべきは①と②のどちらの思考であり、どちらの’生き様’であろうか。
もちろん①のタイプに決まっている。
未成年はもとよりワイルドな自然物からの影響を大いに受け、だから心身の位置エネルギーが高い。
一方で文脈のエントロピーはほとんど無いので、何につけても俺流あたし流でやる気満々。
だからこそ、大抵の事に我慢してでも学校に来て修練に励み、分厚い本でも読んじゃったりするのだ。
こういう連中を相手にするのが教師だ、だから教師自身もこういうタイプでなければならぬと、こういうこった。
スポーツ選手でもいい、芸能人でもいい、農業や漁業でもいい、研究開発者でも設計担当でもSEでも営業でもいい、とにかくおのれ自身がワイルドな実体であり、変位と変容を続ける物質量である、そういう①のタイプの人間こそが、未成年とどっかんどっかん対峙する教師に向いているし、成るべきであると。
タブレット教材がどうこうと批判する声も依然として喧しいようだが、いいじゃないのタブレットでもスマホでも。
それらをひっ掴んだ子供たちがワイワイ叫びながらあっちこっち駆け回っていれば、それでいいのだ。
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教師が①のタイプばかりになると教育現場において統制が効かなくなる ─ などとぶちぶち言っているのはきっと②タイプのジジイどもで、頭の中がカネの割り算と引き算ばっかしだ。
こういうジジイ連中が数の論理で群れて集まって、世の中からカネを毟り取ることばかり考えている。
彼らにとっては、子供たちもまた実体量ではなくてただの数なのだろう、だから統制とか効率化とか唱えつつ、子供たちをギッチギチに矮小化させて型に嵌めてとっとと流してしまえと、こういうことじゃないかしら。
②の素養が全く無益だと言いきるつもりはない。
どうせ誰でも社会人になれば②に翻弄され苛まれ悩まされるに決まってんだ。
しかし、②のタイプの人間を未成年の教育現場に充ててはならない。
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ついでに。
①についての面白い論題のひとつが、「工業の宿命」であろう。
これはまた、「数学と物理学」の功罪でもある。
工業は素材としては自然物でありさまざまな実体量ではあるが、その製造過程は同じ電圧と同じサイズと同じ品質精度に拠っており、だから規格化も画一化も独占すらももたらしやすい。
よって、上手くやれば市場拡大も支配も容易だが、いったん普及してしまった製品は値崩れしやすい。
そこで手を変え品を変え、精度や密度や強度さらにソフトウェアを変えたヴァリエーションを提供しなければならぬが、もちろんこれとてどこかでネタ切れになる。
数学と物理学のみに拠っていれば、どんな工業製品でも必ずこうなる。
いつかどこかでデフレをもたらす。
しかしまだまだ①の新規創造の余地はあるんだ ─ 既得のヴァリエーションではなく自然物そのものつまり素材そのものを新たに充ててゆけばよい。
これをもたらすのが「化学(と生物学)」である。
(このあたり、また新たなヒントを掴んだら書いてみよう。)
おわり