理系でも文系でも、日常生活から職能まで至る局面で使っている記号がある。
記号というより論理そのものでもある。
それが等号である、つまりイコール '=' である。
ちょっと考えてみれば、等号 '=' は何らかの「数の等しさ」、「量の等しさ」、そして「価値の等しさ」を表現しているようではある。
しかし、どこまで理に適っているのだろうか?
ここで、等号 '=' を数学や証明論やアルゴリズムなどにて捉えてしまうとキリが無くなり、全ては0あるいは1のどちらかに集約され、0は1とも言え1は0とも言え、よってどっちも等価たりうる…などの眩いような抽象論に紛れ込んでしまう。
だから数学まわりやアルゴリズムなどに突っ込むのはやめだやめだ。
むしろ、等号 '=' を、「リアルな実体の恒常な等量さ」の表現として捉えなおしてみれば、この意義をかなりの程度まで見極め、なんらかの腑に落ちるのではなかろうか?。
実体、恒常、等量とくれば、物理方程式だ。
だから物理方程式における等号 '=' を軽く検証しなおしてみよう。
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物理方程式の古典の典型がいわゆる運動方程式でF=ma であろう。
古典ゆえにほとんど普遍でもある。
ここで、物理方程式なのだから実体量の’単位’を付記してみよう。
すると、F[N] = m[kg] x a[m/s2] であり、左辺における組立単位の[N]の素性は右辺における基本単位の [kg], [m/s2] である由だが、ここで右辺の2者はいわば別次元の実体量。
よってここでの等号 '=' は数のペタっとした恒等関係は示さない。
しかし方程式ではあるのだから、量の恒常的な正(反)比例関係は表しているはず。
かつ、どれも関数(時間)で微分された純粋な一般量である。
※ なお英語表現上は’或る力’と’或る慣性質量’と’或る加速度’よって前置詞'a/an'で括るべきであると。
一方で、地球上の重力加速度gに限った物理方程式 F=mg はどうだろうか?
これまた物理方程式ゆえ、それぞれ単位[N], [kg], [9.8m/s2] をひっつけてみれば、右辺の基本単位は別次元の実体量であること明白、よって数の恒等関係ではない。
しかし方程式なので、この等号 '=' は量の恒常的な正(反)比例関係は表しているはず。
ここまでは上述の運動方程式と同様だが、関数(時間)で微分の重力加速度g[9.8m/s2]はあくまでも特定量であり、だからすべてが純粋な一般量関係とはいえない ─ よってこちらは運動方程式ではない。
※ なお英語表現上は前置詞’the’による特定化が必要。
これら2例から分かること。
物理方程式における等号 '='は、一般量であろうと特定の量であろうと、左辺と右辺における基本単位量の正(反)比例を表現しているってこと。
量単位は [C], [F], [v] だ。
このうち、[F]は組立単位で[C]/[v]。
ここで組立単位[v] は素性は [J]/[C] でもあり、これらは基本単位 [m2], [kg] ,[s-3], [A-1]から成る。
この組立単位[J]をさらにバラすと 組立単位[N] x 基本単位[m] 、もっとバラすと基本単位 [kg] x [m/s2] x [m]だ。
こうして基本単位にバラして捉えてみれば、左辺は基本単位[C]である。
右辺は、基本単位[C] と [m2], [kg] ,[s-3], [A-1]である。
だがまた右辺は、基本単位[C] と[kg] と[m] と[m/s2] でもある。
これら左辺と右辺をつなぐ等号 '=' は量の正比例の表現として明瞭。
もっと混み入ったやつはどうか。
状態方程式 P[pa] x V[m3] = n[mol] x 一般気体定数R x T[K] にても、組立単位をすべからく基本単位にバラしつつ、等号 '=' を捉えてみよう。
組立単位[pa] は 組立と基本単位 [N]/[m2] であり、組立単位[N]は基本単位 [kg] x [m/s2] だ。
[mol] は 現在は要素粒子数そのもの定義済の基本単位「数」。
一般気体定数Rは 組立単位[J] を 基本単位である[mol]と熱力学温度[K]の積で割った数。
組立単位[J]は 組立単位[N] x 基本単位[m] ゆえ、基本単位 [kg] x [m/s2] x [m]だ。
かくてこの状態方程式は、左辺が基本単位の [m2], [m/s2], [kg] からなり、右辺は基本単位の[m], [m2], [m/s2] , [kg], [K] そして要素粒子数 [mol] から成る。
これら基本単位量からなる左辺と右辺を等号 '=' で結びつけている次第であり、だから数値上の一致は表現しないが、物理量と数の正(反)比例関係は表現している。
※ なお基本単位の熱力学温度[K]とボルツマン係数についても教科書や参考書に
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まだまだ組立単位として[Ω]とか[Wb]とか[Hz]などなど挙げることは出来るし、これらを基本単位の物理量に崩しつつ、物理方程式における等号 '=' の量上の呼応関係につき納得することは出来る。
また、むしろ基本諸元の組立積分としての[J]に則って運動エネルギーや位置エネルギー(そしてエントロピー)の等号 '=' の妥当性を論じるのも一興ではある。
超マクロに考えて ─ たとえば、地球の全物質の質量[kg] と 全電気量[C] と全電力量[J] の関わりについてみるとどうだろう?これらは比例関係にあるのか?
全電気量[C]は発電方式次第でなんぼでも変わるのか?
たとえ人類が居なくなり、たとえ地球が無くなっても、宇宙発電で電力を賄いうるのかな?
(こんなことがありうるだろうか?)
一方で、一般相対性理論 E = mc2における「等価性」や、核融合における質量「欠損」など捉えてみれば物理上は精密な議論となろうが、ここで考えを及ぼすのは面倒そうではある。
ましてや宇宙の物質量が増え続けているのかどうか、ダークエネルギーは、などなど考えを膨らませるとだ、果たして宇宙すべてが何らかの等号 '=' で繋げられうると見做せるのかどうか…。
ただ、物理(数学)方程式における等号’=’ のうちで最も把握し難いものは、おそらく波についてのそれらだろう。
僕が文系頭のせいか、どうにもこれらは真意いや直観そのものが腹に座らず、しばしばイラついてくる。
また気が向いたら。
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ところで。
等号 '=' の正当性について、波についての表現のモヤモヤ感もさることながら、もっともっと別次元レベルでずっと以前から抱いている疑念がある。
それは、「物質(エネルギー)」と「情報」と「数学」のかかわり。
もっと文系的に突けば、最初にもちらっと記したが「物質量」と「価値」の正当性についてだ。
ヨリ物理化学よりに立脚しつつ捉えてみての、それぞれ原子における核子や電子の「量」と、その原子と、それら分子の「価格」についてのことだ。
誰が何の正当性を以てこれらを等号 '=' で繋ぐのよ?
ましてや、経済学にて’価値の増減’、’需給の変動’、’等価交換’などと言うもんだから、'=’がなおさら分からなくなってくる。
特定の資源や資産を好き勝手に査定しやがってよ。
腹も立ってくるんだ。
もちろん全てキチッと統一しろなどとは言わぬし、一人ひとりがおのおの有限の時間に制限されているこの世界で絶対神だの共産社会だのが叶うわけもない。
そんなこたぁ分かってんだけども。
(続く。たぶん。)

